VRライブがもっと楽しくなるのに必要なたった1つのこと
先日、VRライブプラットフォームのVARKにて開催された桜樹みりあさんの1st VRライブに参加してきました。
息苦しい自粛ムードが続く昨今の情勢に一石を投じようと、このライブを無料開放するという形で参加の機会をくれたVARKとゲーム部の運営には心から感謝しています。
ライブの内容は、つきなみですが素晴らしいの一言でした。恥ずかしながら私は今までゲーム部というコンテンツを名前程度しか見たことがなかったのですが、ライブが終わる頃にはステージの上のみりあさんの姿に魅せられて心からの拍手を送っていました。
心地よい歌、練られたセットリスト、そして溌剌としたステージパフォーマンスに優れた演出、なによりも桜樹みりあさん本人の魅力の全てが一体となった、本当によいライブだったと思います。
さて、そんなライブの中で1つの気づきがありました。
今まで幾つかのVRライブを見てきて、私の中では「この会場にはまだ何かが足りない」「VRライブはもっと楽しくなれるはず」という漠然とした思いがありました。振り返れば、noteに初めて投稿した1年前の記事でも、折につけそうした思いをこぼしています。
今回のライブで、その「足りないもの」が何だったのか、何をすればもっとVRライブは楽しくなるのか。その手がかりを掴んだと思います。
今日はそのことを皆さんと共有できればなと思い、筆を執ります。
そもそも「ライブ」の醍醐味とは?
この21世紀が始まって四半世紀近くが過ぎようというご時世、動画コンテンツの視聴はどんどん容易になっています。何時でもどこでも何をしていても、スマホを取り出せば1分で好きなものを見ることができます。これほど便利な環境は、間違いなく人類史始まって以来のものでしょう。
しかし、そうした便利さを捨てて、私たちはあえて不便を甘受しつつもコンテンツを視聴することもあります。例えば時間に制約を受けるライブ配信や、時間と場所の両方に縛られるライブ(リアルライブ)やリアルイベントです。
裏を返せば、私たちはその不便を上回るほどのメリットをライブ配信やイベントに見出しているわけです。安くない交通費や手間、労力を費やしてでも私たちが手に入れようとする、その目には見えない何かとは一体何なのでしょうか?
これに対する私の答えが「手応え」です。
「自分の反応が相手にちゃんと伝わり、相手の反応がちゃんと自分にも返ってくる」ということ。誰か他人との間に相互作用が生じること…とも言えるでしょう。
「手応え」の例をVTuberで挙げるなら、Twitterでリプを送ったらリプ返やハートをもらえたり、コメントやマシュマロを投げたら読んでくれたり、というのが分かりやすいでしょう。もちろんファンとして、配信の感想を送ったりすることもそうです。ライブ配信のアーカイブに自分のコメントが残るというのも一つの「手応え」といえるかもしれません。
双方向性が存在しない動画コンテンツに対して、ライブ配信が魅力的なのは反応が返ってくる=「手応え」があること、この一点に尽きます。だからこそ私たちはライブ配信に詰めかけ、「リアタイできてよかった」と言い、時にはスパチャを打つのではないでしょうか。
では、もう一つ考えを深めてみましょう。そもそもなぜこうした「反応があること」がこうも嬉しいのでしょうか?
自分が好きな人から反応をもらえること自体、単純に嬉しいのですが、ことバーチャル世界では、この「嬉しさ」には単純な喜び以外にももう一つ重要なファクターが含まれているのではないかと思っているのです。そして、ここにVRライブの未来につながる鍵があるのではないでしょうか。
反応をもらえる=嬉しいのメカニズム
さてここで、今回の記事の端緒である下記のツイートをご覧ください。
これは冒頭に紹介した、桜樹みりあさんのライブの後の私のツイート。
事実だけを並べると、ただ私がアーティストからは見えないと思っていた自分の身振り手振りが、VARKのシステムではアーティストからも見えることに気づいた、というだけのことです。
しかしあの瞬間、私はかつてないほどに「自分がライブの会場にいる」ということを強く感じました。単なる驚きというだけではない、何かもっと強い感情が私の中を駆け巡ったのです。
ライブ中のちょっとした気づきが、どんな訳があって私をそう思わしめたのか…?その原因こそ、バーチャルにおける「手応え」の喜びにつながるもう一つの重要なファクター…「現実感」ではないかと思うのです。
人間というのは実は意外なほどあいまいなもので、他人の認知なくしては自分がそこにいるという事すら心からは信じられないものです。例えば、友達が皆でにぎやかに話している中で、自分だけが声もかけられず、黙って立ち尽くしていると、自分が透明人間にでもなったような気持ちになりませんか? あるいは駅前のような、誰もが無関心に行き交う人波の中に立っていると、自分が誰からも見えていないのではないかという錯覚に陥りませんか?もっと身近な例では、SNSでの呟きに何も反応がないときの漠然とした不安感が近いでしょう。
いずれの例にも共通しているのは、無反応や無関心、つまり反応の不在です。にぎやかな人混みの中に居ながらも、あって然るべき「手応え」が自分にはないと、人間はこのように自分がその場にいるという実感=現実感を失ってしまいがちなのです。そして、現実空間よりも情報量が少なく、外部との相互作用が制限されたVRライブ空間の中ではしばしばこの現実感の喪失が起こるのではないかと私は考えています。
そも、VR(Virtual Reality)が虚像の現実と訳せるように、本質的にVRは虚構の中に存在しています。VR空間にいくら沢山の人が集まろうと、物理的には自分一人だけがヘッドセットの中にいるというのが現実です。しかし私たちはVRデバイスによる視覚的欺瞞の助けを借りることで、自分自身の脳を欺き、「自分はVRライブ会場にいる」と錯覚することができます。自分がそこにいると信じていると表現してもいいかもしれません。それによって初めて虚像の中に現実が生まれ、私たちは実質的に(バーチャルに)ライブハウスの会場に存在することになります。このようにVR世界において錯覚、あるいは信じるということは必要不可欠な要素です。
しかし、その錯覚にヒビを入れてしまうのが「手応え」のない孤独なVR空間で視聴者がしばしば陥る現実感の喪失なのです。そうなったが最後、いくらアーティストが魅力的なパフォーマンスを見せようと、VRが視覚的に現実感を訴えようとも、自分がその場にいるという実感を失ったVRライブはただのよくできた3D映像へと成り下がります。VRライブにとって、現実感の喪失とは根幹を揺るがす問題なのです。
しかし、そんな孤独な視聴者に差し伸べられる救いの手もまた存在します。ここまで読んできた皆さんには心当たりがおありでしょう。そう、それがバーチャル世界における「手応え」なのではないかな、と思うのです。自分が何かをしたら、それに反応が返ってくること。それは自分が今この場に確かに存在するという実感、現実感を与えてくれます。もしあなたが駅前の雑踏で孤独に埋もれそうになっていても、不意に「ごめん、待った?」という、待ち合わせ相手の友達の一声だけで、あなたが「透明人間」でなくなるように。深夜のSNSの呟きに、いいねを1つもらえただけでなぜかとても心が安らぐように。
バーチャル世界において反応をもらえることが何故こうも嬉しくありがたいかの理由は、本来虚像でしかないバーチャル世界に孤独に存在する視聴者に、「誰かの反応」が現実感を与えてくれるからなのでしょう。私たちがライブ配信を心待ちにし、相手からの「反応」に胸を膨らませるのも、「手応え」があることこそが虚像の上に成り立つこの世界を現実であると信じさせてくれるからなのではないでしょうか?
私にとってはその「手応え」が、他ならぬ桜樹みりあさんの「皆が見えてるよ!」という呼びかけだったのです。私は自分が手を振ったことにそう応えてもらって、「手応え」を得て、初めて自分がライブ会場にいると心から信じることができたのです。
VRライブに本当に必要なたったこれだけのこと
さて、ここまでのお話で、皆さんにもVRライブに本当に必要なものが、おぼろげながら見えてきたのではないでしょうか?
VRという世界の根本を揺るがす現実感の喪失を吹き飛ばし、見るものにそれが確かな現実であると信じさせ、ただの立体視された3D映像を「VRライブ」へと変える鍵。
それこそは見る者に「手応え」を与え、現実感を作り出すことです。言い換えれば、視聴者にVRという虚像が現実であると信じさせること。それがVRライブ、そしてVR世界をこれからもっと面白く、魅力的なものにしてくれる鍵ではないかと、私は思います。
現実感という要素が、本当にそこまでVRライブを面白くしてくれるのか?と疑問に思う方もいるでしょう。ここで皆さん、映画を思い出してください。私たちは派手なアクションシーンや奇想天外な物語などは、創作の中では飽きるほどに見ているはずです。
にもかかわらず、私たちは実際にそれが目の前で起きたなら、映画で見た時とは比べ物にならないくらいに驚くはずです。いくら映画でカースタントを見慣れていても、目の前で車が空を飛んだら間違いなく腰を抜かすでしょう。これが現実感というものが持つ威力です。
そしてVRライブは、映画のように現実を遥かに超える魅力を既に備えつつあります。足りないのは、その感動を遥かに増幅する現実感というスパイスなのです。
つまり今必要なのは、荒唐無稽なバーチャルという虚像を現実に変えるために、私たちに現実感を与えるものは何か?と現実の本質を今一度問い直し、それをVR世界に組み込んでいくことなのです。
もっと具体的に:VRライブに現実感を生み出す方法とは?
VRライブという、虚像の上に成り立つ夢幻の世界を現実のものとし、私たちを熱狂の渦に巻き込むための鍵はただ一つ、VR世界に現実感を生み出せるかにかかっていることがお分かりいただけたでしょうか。
VRライブは、VRデバイスの視覚的な錯覚だけに頼らず、もっと別の方法で「現実感」や「没入感」を作り出していくことを模索していかなければならないのです。
その上で参考になるのが、現実空間でのライブやイベントです。考えてみれば、そこにはVRに足りない現実感=「信じさせる」or「没入させる」要素が溢れていることに気づきませんか?
現実世界にのことに「現実感」や「信じる」という言葉を使うのはやや不思議に聞こえるかもしれませんが、誰もが無関心に行き交う駅前の光景が私たちに透明人間になった錯覚を与えるように、「自分はこの現実に存在しているのか?」という疑念は現実空間であろうとも確かに存在します。それよりも遥かに多くの「現実感」が、私たちを現実に引き戻しているに過ぎません。そういう意味で現実空間とは、より現実感のあるVR世界と表現することもできます。
さて、リアルライブの「現実感」に話を戻します。そもそも現実世界の生身の体自体が問答無用の「現実感」を与える無敵の礎であるのですが、イベントの中で周囲の熱気や喧騒、他の観客の視線といった事から他者の存在を感じるのもまた、自分がその場にいると実感させる要素です。ファン同士での交流のような体験は、一段と実感を高めてくれるでしょう。
そしてライブが始まり、曲に合わせた色のサイリウムを皆で振り、コールアンドレスポンスに盛り上がれば、他の皆がこの場にいるように自分もここにいるのだ、という強烈な実感が湧き上がります。一体感、とでもいいましょうか。
あるいはMCで○○席のみんなー!とアーティストが呼びかけ、私たちが歓声を返すというお約束が、私たちにどれだけ「ライブ感」を与えているかということを、ここまで読んだ皆さんならお分かりのことでしょう。
アーティストからはもちろん、観客同士でも、見て、見られること。反応を返し、返されること。そうした相互作用によって自分がその場に確かにいると感じ、自分がそのイベントの一部であると信じる。それが自然とできるのがライブやリアイベの強みなのだと思います。
VRライブに現実感を与える上での一つの方法は、こうしたリアルライブのようなアーティストと観客、そして観客と観客の間で、情報のキャッチボール=相互作用を生み出すことにあるはずです。
例えばアーティストと観客であれば、コールアンドレスポンスやMCでの呼びかけといった要素です。ここで重要なのは、アーティストからのフリと同じか、あるいはそれ以上に、観客の側が「自分たちも応えているぞ!」という実感を得られるメソッドがあることが重要だということです。「手応え」とは「双方向性」であり、呼びかけに応える手段なくして現実感は生まれません。
そして観客と観客の相互作用は、clusterやVARKといったVRライブのプラットフォームでは意図的に切り捨てられている部分かと思いますが、これは思ったよりも軽視してはいけない部分なのではないかなと思います。もっともこれは気軽さというVRライブの魅力の裏返しでもあるので、上手くバランスを取る必要はあるのですが(例えば設定によってオンオフの切り替えができる、など)。
きっとこれ以外にも、VRライブに現実感を生み出すもっと良い方法はたくさんあるはずです。が、私はアイデアマンではないので、原則論こそ述べられても、あまり多くの提案ができるわけではありません。
が、読者の方の中には「こうすればいいんじゃないかな?」というアイデアが浮かんだ方が、きっと何人かはいらっしゃるのではないでしょうか。
願わくば私の文章をきっかけに、そうしたアイデアが世に出て、VRライブの未来をもっと明るく面白く照らし出してくれれば、と思う次第です。
あなたのそのアイデアが、VRライブをもっともっと楽しくする鍵になるかもしれないのです。
(4/20追記)ありがたいことにフォロワーのKahluaさんより、VRライブを盛り上げるには?と考察したイメージをいただきました。概念的ではありますが「皆で車輪を回すことで何かが起こる」という実感あるシステム、それを下支えするファン同士のコミュニティ、それによる体験の共有…様々な概念が濃縮された図です。ありがとうございます。
さいごに
VRとは虚像です。視覚的錯覚が生み出す、虚像の現実です。
しかし虚像であるがゆえに現実が及びもしない無限の可能性を秘めています。VRChatには夢幻のような世界が日夜誕生していることからも分かるように、VRは現実には想像の中にしかないものを仮想の現実の中に生み出すことができます。
だからきっとVRライブは今よりももっともっと面白く、エキサイティングに進化していくことができます。「人が想像できることはいずれ全て実現できる」というSFの金言のように、VRライブは想像の翼が広がり、技術が進歩する限りどこまでも面白くなっていけるはずです。
今はリアルライブやリアルイベントにかなわない所も多いでしょう。が、だからといってVRライブをただ現実のイベントのイミテーションで終わらせてしまうのではなく、VRライブならではという何かを探しながら、現実感というエッセンスをうまく取り込んで、いつか現実を越えた現実として花開くことができると、私は信じています。
では、今日はここまで!
蛇足:本文で書けなかった没ネタ
◆VARKの魅力「ガチ恋距離」
今回桜樹みりあさんがライブを開催したVARKは、PC不要でOculus Questだけで参加できるという手軽さもさながら、ライブ専門のプラットフォームゆえの演出の素晴らしさ、そして「ガチ恋距離」という魅力の必殺技があります。
上記の記事は奏天まひろさんのVRライブでの写真ですが、ステージで輝いていたアーティストが突然目の前に現れるその威力たるや、半端なものではありません。私もみりあさんが目の前に来た時、ドキドキが止まりませんでした。
現実では確実にありえないこんな演出も、VRライブでなら現実になります。もしVRライブがさらに進化して、この演出に現実感がプラスされた日には…ドキドキどころか、心臓が止まるかもしれませんね。
◆clusterの魅力「交流タイム」
以前のVRライブについての記事でも書きましたが、clusterのライブはVARKのガチ恋距離とはまた別の魅力があります。アーティストがステージを降りれば、その瞬間ファンとの距離はゼロになるのです。
ステージと観客席という境界を超え、推しが目の前に来て「今日は来てくれてありがとう!」と言ってくれるのは言葉にできない嬉しさですし、なによりこれは「推しと同じ世界に今自分はいるんだ」というこの上ない「手応え」をくれる体験でもあります。VARKのガチ恋距離とならんで、VRライブならではの魅力と「現実感」を生み出すギミックを備えた素晴らしい実例と言えますね。
VRライブを見たことがない人は、ぜひ一度VRライブに行ってみてください。
VRライブに行ったことがある人は、ぜひまた一緒に行きましょう。
思惟かねでした。
この他にも、VRやVTuberに関する考察・分析記事を日々投稿しています。
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また次の記事でお会いしましょう。
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今回も長文にお付き合いいただきありがとうございました。
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