やがて消えゆく「魂」と、生き続けるVTuberの存在:VTuberの「二面性」と私たちの未来
先日、とあるVTuberさんが、スキャンダルの末に引退する事件がありました。私自身も時々見ていた大手の企業勢の方で、あまりの唐突な引退に驚きつつ、残念に思って事の顛末を見ていました。熱心なファンの方の心痛はいかほどかと思います。
さて、それに際してTwitterを見ていて思わず目を留めたコメントがありました。一連の引退事件の引き金となった、VTuber Aさんの「中の人」Bさんに対して、
という趣旨のツイートをいくつも見かけたのです。考えてみれば、これは驚くべきことです。
従来、VTuberは「中の人」と一体にして不可分であるというのが一つの定説だったと思います。事実多くのファンもまた「中の人」なるものが(少なくとも表向きは)いないものとして扱い、VTuberという個人が存在するという「お約束」を共有しています。
またVTuberというものが現実的には「中の人」抜きには成り立たないものであるのは誰もが理解していることです。
…にもかかわらず「VTuber」と「中の人」について明確に別の主体として言及する先のツイートに、個人的に色々思うものがありました。
仮想の存在であるVTuberを擁護し、それを「魂」として動かしてきた「中の人」を別個の存在として非難する。その心理を考えてみると、その裏には、ファンがVTuberに持っている独特の認識があるのではないか。
またより深く考えていくと、それはただVTuber固有の事象にとどまらず、あるいは将来に人が直面するであろう、ある難問の先触れなのではないか…と、そんな考えが頭をよぎりました。
今日はそんな思索について、久しぶりに筆を執ってみたいと思います。
◆VTuberと「中の人」をめぐる認識の歴史
さて、かつてVTuberには「VTuberは現実のアイドルと違いスキャンダルには無縁であり、扱いやすいのが長所」と言われていた時代がありました。確か2018年、VTuberの黎明期のことだったかと思います。
それがまったく的を外した言説であったことは、今この時代の皆さまもご存知でしょう。
VTuberという文化が花開いていく中で、いつしかそれはアニメのようにキャラクターを含めた総体としての創作物ではなく、VTuberという「個人」を楽しむコンテンツとして浸透していきました。「中の人」についての言及をタブー視する文化も、その過程で定着したのだと理解しています。
結果、キャラクターの担当声優をすげ替えるように、VTuberの「中の人」を交代することはもはや不可能となりました。実際にそれを行った結果、炎上に発展した事例をご存じの方もいらっしゃるでしょう。
「中の人」が何らかの事情で活動を続けられなくなれば、VTuberもまた活動終了し「引退」せざるをえない。たとえどれほど人気であろうとも。
そんなことがごく当たり前に了解されるほど、中の人とVTuberの不可分性はもはや私たちの常識となっていると思います。
だからこそ、そのVTuberをアイコンにしているほどのファンアカウントが「中の人」と「VTuberという存在」を明確に異なるものとして扱い「悪いのは中の人であって、VTuberではない」と語ったた言葉が、とても衝撃的に感じられたのです。
◆中の人とVTuberの関係はどう認知されるか?
さてここで、このように「中の人」と「VTuberという存在」を同一視すること、あるいは何かのきっかけからそれらを再び別個のものとして見なそうとすることが、どのような心理に基づくものなのかを考えてみましょう。
実はこれにつながる仮説を、私は以前の記事で書いています。
VTuberの本質とは何か?ということを考察したこの記事で、私はVTuberの本質とは「視聴者と配信者の共同幻想」であると述べました。
本来、VTuberという個人は存在せず、「中の人」に演じられることで生まれる創作上の存在です。しかしアバターや名前、設定、そして配信者としての知識や人格が一体となって生まれるVTuberは、視聴者にとってはあたかも本当にそのような一個の個人がいると感じられます。
また「中の人」自身も、そうした視聴者の反応を通じて、自分でありながらどこか自分ではない、VTuberという仮想の個人の存在を確認していく。
どこにも存在しない仮想の存在だが、「中の人」も視聴者も、両者が客体としてその存在を認識している。これがVTuberの特徴です。
さてこう考えると、私達がVTuberを見る時に「中の人」をめったに意識しない理由も見えてきます。
つまり「中の人」は、構成要素の一つとして、VTuberという仮想の個人に包摂され、不可視化されているのではないでしょうか。つまり視聴者は「中の人」を見ないようにしているというよりも、ただただ意識しなければ「VTuber」の一部でしかない「中の人」を別個の存在として認識する理由がないということです。
「個人 (individual)」とは、読んで字のごとく不可分であるということを含意します。普段の生活での人付き合いを思い出してもらえれば分かるように、私たちは、認識の最小単位である個人というものをそれ以上分解して認知するような考えをそもそも持ちません。
それゆえ、私たちはVTuberにおける「中の人」をごく自然に無視し、同一視するのです。「中の人」への言及が憚られるVTuberクラスタの空気は、あるいはいこうした心理から自然発生的に醸成されたのかもしれません。
◆VTuberと「中の人」が分かたれる時
しかし今回は不可分であったはずのVTuberと「中の人」が、視聴者の中で再び分裂するという現象が起きました。これはどのように理解すべきでしょうか。
そこにはコンテンツとしてのVTuberが持つ二面性が関わってくると考えられます。
先の図では、VTuberの存在は「中の人」や名前、設定など、全てクリエイター側によって創作されたものでした。しかしVTuberが活動を始めると、状況は変わっていきます。程度の差こそあれ、VTuberにはその活動を通して生まれた様々なエピソードやイメージ、ミームなどがどんどん付加されていきます。特異なのは、こうした付加的な情報はファンの手によって主導されるという点です。
例えば「サメちゃん」として有名なGawr Guraさんは、初配信での第一声であった「a」がミームとして定着。もはや「a」の一言が彼女のモノマネになるほどで、彼女自身もまたそれを時折ネタにしますが、これもまた「a」がバズったから…言い換えればファンの手によってその属性はVTuber・Gawr Guraに書き加えられたのです。
このようにVTuberは、往々にしてファンとの双方向のやり取りの中で様々な要素が付加されていくのですが、これはVTuberがある種、創作物的な性質…まさに二次創作によって設定が増えていくアニメのキャラクターのような双方向性を備えているからこその現象でしょう。
そしてそれゆえに、不可分であるはずのVTuberと「中の人」の分裂が生じるのではないか、というのが私の考えです。
ファンからしてみれば、長く追ったVTuberとはある種、自分が愛し、また創作にも携わった強い親しみを持つキャラクターともいえます。それに対しての「中の人」のスキャンダルやトラブルは、例えるなら好きなアニメのキャラクターを第二期のストーリー中で制作会社都合でメチャクチャにされてしまったファンの心理を想像してもらえればよいでしょう。
ファンとしては「こんなものは認めない。こんなのは○○じゃない」と思うはずです。VTuberと「中の人」の分裂でも同じことが…視聴者の中にあるキャラクター像による「中の人」の否定が起こるのです。
このような現象は、VTuberが創作物としての性質と、仮想の一個の人間としての性質の両方を備える、二面性を持つ存在であるからこそ生じる独特の現象といえるでしょう。
これが芸能人であれば、スキャンダルで失望こそされど、その人は本当の意味で不可分な個人なので、そのような否定は起こりません(少なくともそのようなエゴイスティックな主張が広く理解されることはないでしょう)。
もちろんこれは「中の人」にしてみれば複雑な気持ちでしょう。しかし先ほども述べたように、そもVTuberとは「中の人」がアバターを着ているという単純なものではなく、それを見る視聴者がいることで、あたかも存在しているように感じられる仮想の個人です。VTuberの持つ創作物としての一面がそれに拍車をかけます。
つまり、もとよりVTuberの半分は視聴者の中にあるのです。もはや「中の人」にとってもVTuberは自由になる存在ではなく、「中の人」はVTuberのイメージに対して大きな決定権を持っているものの、それは視聴者を抜きにして語ることはできません。
そうした構造が表面化した結果が、このような「中の人」とVTuberの分裂なのではないでしょうか。
◆「中の人」を失ったVTuberのゆくえ
ところで「魂」を失ったVTuberは、その後どうなるでしょうか?
「引退」という結末は言うまでもありませんが、しかし、それはVTuberという存在についての本質的な変化をすべて語るものではないと思います。
確かに「魂」を失えば、VTuberが活動することはもはやかないません。しかしそれは、先に述べたVTuberの持つ二面性のうち「人間」としての側面が失われるだけに過ぎません。活動を通して積み上げてきた歴史そのもの…VTuberの創作物としての側面は残ります。
人間であればそれを「死」と呼ぶでしょう。しかしもとより仮想の存在であり、虚像であるVTuberにとって、それは新たなコンテンツや付加的な情報が生み出されなくなるという点で、彼彼女の「時間の停止」ともいえるでしょう。
事実、先日ファイナルライブを持って活動を停止したキズナアイさんは、そのことを何と呼んだか、皆さんはご存知でしょうか。
「スリープ」です。
彼女は死ぬのでもなく、消えるのでもなく、時の歩みを止めたのです。そして「魂」を失ってなお、創作物、キャラクターとしてのキズナアイは私たちの中で生き続けており、今なお私たちを楽しませています。いまなお日夜生み出される彼女のファンアートが象徴するように。
このようにVTuberとは「引退」したとしても、死ぬことも消えることもなく、誰のものでもない時を止めた仮想の個人として見る者の心の中に在り続けるのでしょう。
そして、もし彼彼女にスキャンダルのような望ましくない行いがあったとして、それをVTuberにではなく「中の人」に帰することで、自らの心の中のVTuberのイメージを守ることは、誰に責められるものでもないはずです。
現実の人間がその対象になるのなら「勝手にあなたのイメージを押し付けるな」と非難もされるでしょう。しかし、視聴者と配信者の共同幻想であるVTuberは、その意味で真実あなた自身のものでもあるのですから。
◆最後に:「存在」は誰のものか?
…ただし、先の「VTuberとしてのあなたの存在は、決してあなただけのものにはできない」という主張に、VTuberその人は釈然としない思いを感じることだと思います。
自分そのものではないにせよ、VTuberはやはり部分的に自分自身であり、それを自由にできないというのは納得しづらいところでしょう。とはいえ、コトが他人の心の中の問題である以上、それは内心の自由に属するものであり、どうすることもできません。
…しかし、これが心の中だけに収まらなくなるとしたら?
昨今の目覚ましいAI技術の発展は、表層的な観察データからブラックボックスとして個人の振る舞いを人工的に再現する…つまり、その人の「コピー」を作ることができる可能性を示唆しています。
「魂」を失い、時を止めたVTuberが、人工の「魂」により復活する…そんなことが、案外近いうちに現実になるのではないでしょうか。
これは空想ではなく、現に賛否両論あった「AI美空ひばり」のように、人間についてもこうしたことが起こり始めているのが今の世の中です。
かつてはそのようなことは空想の域を出ませんでした。しかし、肖像、写真に始まった記録技術の進歩は、テキストや映像など、様々な形で個人の表層であるデータをことごとく記録することを可能にし、やがてはそれを用いて個人の人格そのものをAIとして再現できる日が必ず来るでしょう。
ましてや、その振る舞いの全てが動画やツイート、あるいはモーションデータという形で残され、記号化されて広くユーザーの間に共有されているVTuberは、人間以上にAIによる「魂」の再現が容易な存在であり、まっさきにこの問題に直面する存在ではないでしょうか。
故人であれば、ある意味その人の「存在」は誰のものでもなく、したがってこうしたAIによる「再現」を制約するものは(少なくとも今は)ありません。
逆に生きている人間であれば、人格権という形でその存在は明確にその人のものであり、同意なくしてその再現はおおよそ認められるものではないでしょう。
しかしVTuberは? 「魂」を失っているという点では故人であるものの、一方でその存在の半分を作り上げた人間は現に生きているわけで、いわば両者の中間といえます。
そして先も述べたように、AIによる「魂」の再現が最も早く実現するのはVTuberでしょう。数年先か、十年先かは分かりませんが、その時VTuberは人類の先駆けとして、この問題を改めて人々に問いかけることになるでしょう。
人の「存在」は誰のものか?と。
あるいは、人間もまた「魂」という側面と、「想い出」という共有された創作物の側面という二面性を持つという点で、実のところVTuberと同じような存在といえるのかもしれません。
あなたの心の中にもきっと、親しい人が、あるいはVTuberがいるはずです。それはその個人の実存の片割れです。それは一体、誰のものでしょう。あるいは、他人の中にいるはずのあなた自身は…?
そんな、一昔前であれば空想的であったことに思索をめぐらしてみるのも、存外良い頃なのかもしれません。
なぜならあなた自身が、そのような自らの「存在」についての問いに答えねばならなくなる日が、きっと遠からずやって来るのですから。
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