泣けないということ
ここ20年ぐらい泣いていない。
うろ覚えだが、小学生の頃何かができなくて悔し涙を流していたのが、最後に泣いた記憶として残っている。
小学生当時のことだ。完璧主義なのだろうか、授業の問題に答えられなかったり、間違えたりする度に泣いている同級生がいた。当時僕は、なぜそんなにも毎回泣くのだろうと感じていた。今思うと頻度は全然違うが僕も似たようなものだったのかもしれない。泣く原因としては自分の不甲斐なさに対する怒りだろう。
また、昔から感動系のテレビ番組が苦手だった。おそらく、僕の両親もそういった番組はそんなに好きじゃないような気はしている。
親類の葬式などで泣いていたと思うが、それ以外で両親が泣いているところを見た記憶がほとんどない。泣くということを無意識に忌避して、僕が忘れているだけかもしれない。
僕自身は、決して無感情ということはなく、うるっとすることはあっても涙がこぼれたり、感情が昂ってボロボロ泣くということはない。人が泣いているのを見るとむしろ冷静になると思う。
何らかの作品を見ていて、悲しい場面よりも登場人物が弱さを克服したり、強さを見せる場面の方が心を揺さぶられ、うるっとすると感じている。
泣かない強さはあるかもしれないが、泣けないということは強さではなく弱さだと思っている。泣き方を忘れてしまっているのだろう。
泣きたいから泣くという感覚がよくわからない。「泣きたいのはこっちだよ」みたいな表現があるが、それを言っている人が泣いているのを見たことがない。
少し話がそれたが、泣くというのは自然と涙がこぼれるものなのではないのか。
僕はうれし涙や悔し涙は美しいものだと感じている。悲しい涙に対する言葉は持ち合わせていない。
終わり