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目を肥やすべきかどうか
僕が記事にするネタは、ふと思い浮かんだものであることが多い。
思い浮かぶものとしては、「これってどうなんだろう?」か、「この結論を言いたい」の2パターンが多い気がしている。
今回は前者だ。特に結論を決めていない状態での見切り発車の記事である。
見切り発車でもいいのが素人のいいところだ。プロだと一定のクオリティを求められてしまう。
タイトルが思い浮かんだ後に、村上春樹の言葉が脳裏をよぎった。
Q15.SNSはいっさい見ないそうですが、その理由は?
大体において文章があまり上等じゃないですよね。いい文章を読んでいい音楽を聴くってことは、人生にとってものすごく大事なことなんです。だから、逆の言い方をすれば、まずい音楽、まずい文章っていうのは聴かない、読まないに越したことはない。
何様だと言われるかもしれないが、プロの作家が余計な雑音に惑わされないように、信念をもったスタンスでいるのは好きだ。お気に入りの作品の作者がSNSで炎上しているのは見たくないし。
一方でこういう考え方もある。
バキ 「そのメカブ・・・」
「最近よく食べてるんだ」
「カラダにいいからね」
「パックだから・・・」
「色々入ってんだろうけど・・・」
「カラダにいいから・・・・・・・・・・・・」
勇次郎「うむ・・・・・・」
「防腐剤・・・着色料・・・保存料・・・」
「様々な化学物質 身体によかろうハズもない」
「しかし」
「だからとて健康にいいものだけを採る」
「これも健全とは言い難い」
「毒も喰らう 栄養も喰らう」
「両方を共に美味いと感じーーーーーー」
「血肉に変える度量こそが食には肝要だ」
一流や超一流のものしか体験しないというのはプロの立ち位置としては一見よさそうな気はするが、一般社会に生きる一般人は、様々なレベルのものに触れておく方がよいのではないかと考えている。
なぜなら、飽きにくいからだ。
では、違うジャンルの一流のものを体験すればいいという話になるが、一流のものは高価であり希少性があることが多いと思う。それを一般人が日常生活で頻繁に体験できるだろうか。
有名な古典小説など読書関連は、比較的安価で体験できると思うものの、読書が好きでない人にとっては関係のない話になる。食わず嫌いかもしれないが、古いものが好きではない人は結構いそうだ。
また、一流・超一流のものというのは基本的に少数派だと思うので、目を肥やし過ぎるとそれ以外の多数派のものは物足りないものになり、日常に満足しづらくなってしまう。
これは、長い人生にとっては致命的なので、様々なジャンルのレベル帯を知っておくことで、飽きたら別のジャンルにシフトするという手が使えることは暇な人生には有効だと思う。
一流といっても相対的な評価になるので、世間で一流とされるものが、自分はどう感じるかは知っておきたい。その中で他人の評価に流されず好きなものを見つける方が面白みがある。
たまにジャンクフードが食べたくなるように、一流を知ったうえでやっぱり、自分は相対的な二流・三流で満足するジャンルもあると認識しておきたいと思う。
自分にとっての一流以上のものにこだわりをもてばよい。
特にネットが発達した現代では意識せずとも様々な情報が飛び込んでくるので、あまり食わず嫌いをせずに、流され過ぎないように何でも楽しめるようになるのもいいのかもと思う。といいつつ、僕自身はジャンルの好き嫌いは結構あると感じているが。
頭角を現していない二流、三流、素人レベルの人でも、何か光るものを表現している分人(最近知った言葉なのでここぞとばかりに使ってみる。使い方があっているかはわからない)がいることだろう。
そういう光るものを求めて、ネットの海へ繰り出していく。(現実世界にはあまり繰り出さない。)
おわり