憧れの?海外生活、 NZ編 その1
私はちょうど31歳になる年から2年、ワーキングホリデーという名の「ギリホリ(ギリギリの年齢でワーキングホリデーに行くという意味)」に挑んだ経験がある。ニュージーランド(NZ)とオーストラリア(AUS)、各国1年。
周りには、それこそ学生や20代の子がゴロゴロ。日本では、何となくまだ31歳?!の感覚から、すっかりおばさん、または姉貴枠に昇格だか降格した私に日本からきた若者たちは容赦なく「知ってますか?ギリホリっていうんですよ。そのくらいの年齢でワーホリ来る人」と現地入り後に、何度聞かされたことか。
「です・ます」調の丁寧さが台無し。日本語は奥が深いわぁ〜と思うと同時に、むしろ、この決断を褒めてほしいくらいだった。が、人生そんなに甘くない、である。
私だって若いうちに来られたらどんなにか、という苦い経験をこの2年間に痛いほど味わった。
さて、ワーホリの2年間、私がいったい何をして過ごしていたかである。
1年目のNZでは、Au pair(オーペア)という住み込みのベビーシッターをしていた。子どもの育て方を通して、他国の文化や教育、生活を身をもって知りたいと思っていたからだ。
出国前にその旨をエージェントに伝えたところ….
「そうですねぇ、いいご決断だと思いますが(少々の間)….これまで海外旅行経験のない、あめとさけさんに、それは最初からハードルがやや高いのでは?人の子どもの面倒をみる際に言葉やコミュニケーションなどに心配などはありませんか?」
という真っ当なアドバイスをいただいた。
よって、最初のひと月は学校へ行きつつ、子どものいるお家にホームステイ。その家の子どもたちの相手もしながら、ステイ先の家族に推薦・紹介状なるリファレンスを書いてもらい、並行してCV(履歴書)を作成。学校へ通いながら働き口(住み込み先)を学校の先生と必死に探す、という道を進むことになった。
だが、これはあくまで出国前の「プラン」であり、保育士資格もなく、英語力も初級レベルだった私に待ち受ける現実は、想像よりもなかなか過酷なものだった。