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妻教信者です?
さて、みなさまお疲れ様です。
n回めの洗車後土砂降りされたおもちたろうです。かなーしみのー
さて、今回のタイトルは、宗教勧誘の話ではありません。
まずタクシードライバーの仕事をしてると、お乗せしている時にたまにお客様から宗教の勧誘をされます。
パンフレットを渡されたり、新聞を渡されたりしますね。
信教の自由なので、そういった勧誘行為や宗教そのものを否定する気はさらさらありません。
心のよりどころは必要ですからね。
ただ、個人的にはお客様との距離は近づきすぎないのがいいんじゃないかと思っています。
そのため、基本的にそういった勧誘行為はお断りさせていただいています。
じゃあどうやって断っているのかというと冒頭の妻教です。
「信仰している宗教(妻教)があるのですみません。」
大体これで話は終わります。
私は勝手に自分の心の中に妻教を作ってしまいました。
教祖は妻。信者は私のみ。
詳しいこと聞かれても、新興宗教なのでこれからなんですよーとか適当に流しちゃいます。
向こうもそんなにことを荒立てたくないので、そこまで言いません。
ちなみに妻教の教義は日常五心が中心です。
私がいいなと思って勝手に決めました。
私を拾ってくれた妻への忠誠心をいつまでも忘れないために。
これについては以下の話がわかりやすいので採用しました。
今月の法話 19/09/05
日常五心
「日常五心」とは、ハイという素直な心、すみませんという反省の心、おかげさまという謙虚な心、私がしますという奉仕の心、ありがとうという感謝の心、と書かれています。
この「日常五心」というものは、真言宗でよくいう三密・三業というものになります。三密とは身口意のことで私たちの体・言葉・心がバランスよく働き、仏様の力が加わると三密加持となります。それに対して、三業とは、私たちの体・言葉・心がアンバランスになり、道理からはずれた行いをした時の事を言います。三業を三密にかえるべき初歩的な行が「日常五心」にある様に思えます。
「五心」とは
一、「ハイといえる素直な心」
ハイという一言、誰の呼びかけに対しても素直にハイと返事をすることができていますか。病院の受付で名前を呼ばれて返事をせず、立ち上がる大人に「どうして、あのおじちゃんはお返事しないの」と母親に聞く子どもがいました。
少々こじつけですが、ハイとは仏様を礼拝するという拝の字に通じているのではと思います。拝む時の素直な気持ちでハイと返事をしましょう。仏様の声だと思い、気持ち良くハイと返事のできる人になりたいものです。
二、「すみませんという反省の心」
お大師様の教えに「みずからをかえりみることの出来る人と、いたずらに他を恨む人と、そこに教養の高さ低さが現れる」とあります。
だれのお話だったか忘れましたが、日本語の『すみません』は深い意味があり『これでおわったのではなく、必ず償いをします』の思いがこめられているのだと聞いたことがあります。つまり、反省するということは、その償いをしなければならないと言うことです。口先だけでは無く心をこめ、償いの思いを込めてこそ、ようやく済むと言うことなのでしょう。人として決して忘れてはならない行いだと思います。心して「すみません」とつかいましょう。
三、「おかげさまという謙虚な心」
お大師様の教えに「一切衆生を観るに、なおしこしんおよび四恩の如し」とあります。四恩とは、父母の恩、国の恩、衆生の恩、三宝の恩です。つまり、ご先祖からの血縁により与えられたいのち、次にそのいのちを支える空間、そしてお互いに支え合ういのちと、正しい教え導きがあってこそ私たちは生かされているということです。自分自身がほかならぬ「四恩」のたまものです。生きとし生けるものすべてが我が身であると思いなさいということです。「ぼくが、私が」とついつい口に出がちですが、分かちあいの心、つくしあう心を深めて「おかげさま」という謙虚な心を養いましょう。
四、「私がしますという奉仕の心」
私たちは、生きているから働きます。動きがとまれば、それは死を意味します。だから、にんべんに動くで働くをいう漢字になります。また、働くは、ハタとラクに分けられます。はたを楽にする、つまりハタとは、周りを楽にするということで、すばらしいことです。仏教では自利利他という言葉があり「自利が他を利する。また、他人を利することが、我が身の利である」といいます。このように考えると、まわりの人のために私に何ができるか、させていただけるかということでしょう。「私がします」という奉仕の心を養いましょう。
五、「ありがとうという感謝の心」
私たちの周りの人々や出来事から、私たちをとりまく自然環境など、同じ時に生かされている全てのものへの感謝の気持ちです。また、時をさかのぼり、ご先祖やそれに関わるあらゆる事への感謝の気持ちです。日々「ありがとう」という心を持ち過ごす事で、どれほど豊かな心で生きていけるでしょう。「ありがとう」と言う人も、言われる人も、感謝の心で満たされ穏やかな気持ちになるでしょう。生きている、いや生かされているありがたさに気づくことにより、この「ありがとうという感謝の心」が養われるのでしょう。
おもちたろう式日常五心
ハイという(妻の指令に服従)する素直な心。
(いつもやらかして)すみませんという反省の心。
(私が生きているのは妻の)おかげさまという謙虚な心。
(妻が行動する前に)私がしますという奉仕の心。
(俺と結婚してくれて)ありがとうという感謝の心。
こんなん本人の前で絶対にいえないから!
照れくさいわ。特に五心の最後!!
みなさん、秘密にしてね!このページとか下の記事とか妻に見せてないから!
おわりです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
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![もちさん](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/170178122/profile_015de0906ced1dbe5dcb92dff84be3ad.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)