2025/02/06

昨日、新しい美容院に挑戦し髪を切ってきたのだが、完全に失敗してしまった。俺はいつも側面を6mmで刈り上げて、トップは今の長さの1/3を切ってもらうことで髪型をキープしているのだが、昨日は俺の伝え方が悪かったのか、美容師が朦朧としていたのか、なんとトップを今の1/3の長さにまで切られてしまった。これによりほとんど坊主みたいな長さになってしまった髪の毛だが、そこに至るまで俺は何度か「なんか切り過ぎてないか?」と違和感を覚える場面は何度かあった。
しかし、俺は髪を切られている最中の自分は実験台に座らされた被験者であって自由意志をはく奪されていると思い込んでいるため、言い出すことはしなかった。結果を見守るしかなかった。予想以上の長さで切られていく髪の毛たち。猫がゆっくりとあくびをする光景が頭に浮かぶ。自身が切り刻まれるのを眺めるだけの無力さとそれでもいいかとどこか他人事に感じる自分が同時にいる。落ちた髪の毛と自身の影が接続された時、「出来ました、確認してください」と合わせ鏡の見本みたいなやつで前面と背面からやはり短くなり過ぎている自分をゆっくりと確認する。「ありがとうございます」と一言、誰に向けるわけでもなく俺は言った。

指摘するやさしさ、というのがよく言われる。例えば、店員が指定した商品と間違ったものを持ってきた場合、あなたはそれを指摘するだろうか?俺は、ほとんどの場合指摘しない。天ぷらうどんを頼んで肉うどんが来ても、まぁいいかという諦め、妥協のもと肉うどんに手をつける。
これは一見して優しさや穏やかさと思われがちだが、実際は、指摘しないことによるデメリットの方が双方に大きいから絶対に指摘した方がいい。指摘しないから、俺は注文とは違うものを食べることになりちょっと満足感が下がる、お店も俺が指摘しなかったことにより在庫が狂い、レジシステムによっては預り金も狂う。そうすれば、在庫の狂い、現金の狂いによって残業が発生するかもしれない。俺が指摘していれば…。俺が指摘していればこんなことになっていなかったかもしれないのに…。

しかし俺は指摘しない。出来ない。「あ、違いますよ」と言い出そうとした瞬間、口は弛緩し、舌はだらしなく垂れ下がり、正確に言葉を発するのが難しくなる。加えて、脳は一瞬でホワイトアウトし気絶したかのように時が飛ぶ。いや、実際に気絶しているのかもしれない。とにかく、店員さんにミスを伝えるのが無理なのだ。

ミスを許し指摘しないという行為は、あたかも寛容さの表現に見えて、また別の側面では相手より優れた倫理観・感覚を持った自分でマウントを取る行為とも考えることが出来る。部下のミスに対して、その問題点を掬い上げ、それを相手にしっかりと伝え再発防止をすることは相手に向き合い、尊重すら感じる行為だが、ミスをした部下に対して「バカな息子を…それでも愛そう…!」と抱きしめることは、どう考えても相手を下に見た行為でマウントと捉えられても仕方ないだろう。これからの時代のマウントは「許し」が流行ります。相手をブスと同じ地平で罵り合うならば、「未だ顔の美醜にこだわるお前を…それでも愛そう…!」と言って相手の上に立ちましょう。

俺が指摘しないのは「なんか虫が喋ってるなぁ。キモいなぁ」と思われたくないためであるが、しかしいつかは指摘する勇気を持たなければ俺の人生は俺の手から離れめちゃくちゃになってしまうかもしれない。事実、俺の今の髪の毛もかなり俺の手から離れむちゃくちゃになっている。まぁ、髪の毛はそのうち伸びるので別にいいんですが。肉うどんも美味しいから別にいいんですが。SEXの時にお尻洗って別に洗いきれてなくても、別にいいんですが。

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