しょうもない彼氏
彼氏がいるのにSNSで「酔っぱらって性欲ヤバいwww」と言う奴がいる、お前のことだ。
付き合って13年の彼氏がいるのに「今日の朝勃ちすごい」とこれまたSNSで他人を変に期待させるようなことを言う奴がいる、お前のことだ。
一緒に住んでいる彼氏がいるのに若い子にノリで「射精の伴わない添い寝したくない?」と気持ちの悪いことを言う奴がいる、お前のことだ。
お前はする必要のないオナ禁を何故かしている。お前は別にコーヒー好きでもないのにスタバの新作をいの一番に飲みに行って写真をあげている。お前は長期休みになると髭を伸ばしてそして休みが終わるころには髭を剃り「髭が無くなったから人権ないわー」と意味不明なことを言う。お前はアレン様とかオネェタレントを知らなきゃもったいないという異常な熱量で見ている。お前はAVに出た若い子を偉そうに批判する。お前は全く興味がないのに流行っているからという理由でポケモンカードを集めている。お前は性欲なんて全然有り余っているのにポーズとして最近性欲ないわーと嘯いている。
お前だよ、お前。全て、お前のことだ。
俺はお前の彼氏として13年、お前と知り合ったのは20歳のころからだからそこから含めると19年、お前という人間を見続けてきた。
お前は短絡的だ。他者に流され他者が褒めるものを褒め、他者が批判するものを批判してきた。そのくせ自分の欲にだけはひたすらに正直で、俺という彼氏がいるのにSNSやゲイバーで下心丸出しで若い子に近づいていった。偶に良い思いもしたようだが、お前は基本的に顔も体も良くないから若い子に邪険に扱われるのが正直愉快だと思った。
付き合った当初はお前の淫蕩具合に怒りもしたが、5年も経つ頃には、こいつは息を吸うことと同じように下らないことしないと生きていけないのだと俺もお前を完全に理解した。
お前は幸せの解像度が低いのだ。一般的な幸せというものが眼鏡を外した時のようにぼやけて見えていないから本能にだけ従って誰にとってもつまらないことを繰り返す。
お前のやることなすこと全てが本当につまらない。「つまらない」とは「面白い」という大枠の中の一つとお前と出会うまでは思っていたがそれが間違いだと思い知らされた。お前はどこかで聞いたようなことしか言わない。お前は率先して大衆の中の一人に埋没していく本当につまらない人間でしかなかった。
窓から夕陽が差し込んでいる。そろそろ犬の散歩のために帰らねばならなかった。
「じゃあ、今日はもう帰るから」
「ん、ああ。さよなら三角、また来て四角」
「なんだそれ」
俺は病室を出る。彼はベッドの上で俺に手を振っている。多分ドアが閉まるまでずっと振っていたと思う。
去年、調布の京王多摩川駅近くに二人で家を買った。同時に柴犬も飼い始めて名前は「くぅ」にした。彼がその名前を希望したので、そうなった。くぅを飼い始めたはいいけどお前は全然散歩に連れて行かないから俺が毎日多摩川沿いを散歩させている。名付け親ならちゃんと面倒見てほしいよな、と前を歩いているくぅに話しかける。
チャッチャッチャとくぅの爪がアスファルトに当たる音がして、それがくぅの返事みたいに聞こえる。くぅは名付け親のことを正しく認識しているだろうか。
お前は病気になった。癌らしい。よく分かんないけどさぁ、と本当によく分からない顔をしながら癌だと伝えてきたから最初は軽いものかと思ったけど、すぐに入院、そして余命もそんなに長くないと分かった時にはお前がしてきた冗談の中でもこれは最大の冗談だと思いたかった。
「いや、俺の父親も癌で早くに死んでるらしくてさ。母曰く、父親はクズ過ぎて会ったことないんだけど。癌家系なんかな?」
お前は父親に似たんだろう。お前の父親はクズで短絡的できっと浮気性だったのだろう。そして似なくてもいいところまでお前は父親に似てしまった。お前は今までそのアホさ加減から周りに迷惑をたくさんかけてきたが、こうやって病気になったことが俺にとっての一番迷惑で嫌なことだった。
くぅが茂みでうんちをしていた。それをビニール袋の中に入れて再度歩き出す。多摩川沿いから見る街は夕陽に包まれてオレンジ色に光っていた。
くぅがまた止まって茂みのにおいを嗅いでいる。そこはくぅがいつも止まる茂みだった。
本当に一度だけ、癌だと告げられてから彼とくぅの散歩に一緒に行った時、彼がこの場所で吐いていたことを思い出す。普段は飄々としている彼だが、あの時だけは辛そうだった。
あの夕方、彼は急に嗚咽と共に茂みで吐き出した。どこか体の調子が悪いのかと思ったが、彼が悲しそうに泣きながら吐いているのを見て俺は彼のことを理解した。彼は、彼氏と愛犬と多摩川沿いを歩くという幸せの象徴みたいなシーンに当てられたのだ。今まで不鮮明だった幸せの解像度が命に期限がついたことにより途端に鮮明になったのだ。
お前は馬鹿野郎だ。気づくのが遅すぎる。二人の幸せの解像度は出来るだけ合わせないといけないのに。俺が今までどれだけ我慢したか。お前が帰ってこない夜は人間より寿命の長い生き物のことを考えて早く寝ようとした。夢をよく見た。お前が夜に荷物を詰めてどこかに行ってしまう夢は今でもよく憶えている。
俺は彼の背中をさすってやる。くぅはお利口に立ち止まり、俺たちを見ている。彼の背中が震えている。汗ばんでいる。
彼はそのまま蹲って泣き出してしまった。俺は背中をさすり続けている。俺は、命の期限に怯え泣き出した彼のその横顔を見てたまらなく愛おしい気分になった。間違っているのかもしれないが、少しエロい気分にもなった。別に俺にそういう趣味があるわけじゃない。
人の心の動きってのは馬鹿みたいだ。その動きによって彼氏がいるのに小さい浮気を繰り返させたりするし、弱った彼を見て魅力的だと思ったりもする。
俺は彼の背中をさすり続けている。この行動だけは間違っていないはずだ。
「ごめん、ありがとう」
と彼は言って俺は首を横に振る。
彼が謝ったり感謝したりするのは珍しい。
「俺、お前といれて良かった」
と彼はまた珍しいことを言う。
「それは俺もだよ」
思っているけどあんまり思っていないことを俺は返す。これも不思議な心の動きだ。自分は一体どんな調子でこの言葉を返したのだろうか。
俺は彼のことをふざけるなとも思っているし、愛してる、とも思っている。それは矛盾しないで俺の心の中で同居している。
彼がいなくなるまでもう少し時間があるからそれまでにはこの心の動きがなんなのか解明したい。
そしてその過程で、俺は彼とくぅとの一度だけのこの多摩川沿いの散歩を絶対に何度も思い出すのだろう。夕日が綺麗でくぅの足取りが軽やかで、いつもはSNSで見た可愛い子の話をするような彼だけど、この時だけはずっと黙ってて、けどそれが温かい思い出になってなおさら美しい。