2022/05/24
会社で組織改編があった。俺は去年から意に沿わない部署に回されていやいや嘘でしょと言いながら働いていたのだがどうやらほんとに嘘だったらしく一年で異動を命じられ胸をなでおろしている。かといって俺も漫然と仕事をしていたわけじゃなくちゃんと異動が叶うように仕事していたので願えば叶うんだなという内容のない実感をこの一年間で得ることが出来た。この異動願い活動を詳しく書かせて頂くと俺は全ての仕事に対して手を抜きまくっていた。抜きまくり。高3の受験終わりくらい抜いた。最高1日8回抜きました。クラウドワークスでちんちんを握ってくれる人を募集したり、会社PCで鬼越トマホークのwikiを編集したりしていた。抜きまくり、実績横ばいまくりだったので、晴れて部署異動が叶ったというわけだ。これからは頑張ります。
頑張らないといけないなぁとは思いつつも、頑張らないことに対して世の中も肯定的になりつつありどうも頑張ることに対してだらっとした空気が流れてしまっている。生まれたことに意味はなく、死ぬまでの暇つぶしとして生があるとしてもこの現代社会は頑張らないと中々幸せになれない。言わなきゃ人は動かないし、結果を出さなきゃ人は気づかない。全員が体と心に謎の倦怠感を抱えながら生きている世界で自分の願うものを手に入れ他者から抜きんでるには相当の頑張りがいるんじゃないかな~と思うんですよ。だって世に出てる人って何かしらで頑張ってる。仕事にしろ趣味にしろ何かしらを頑張って地位を築いている。結局のところ「頑張らなくていいよ」なんて甘言は「(今は)頑張らなくていいよ」という但し書があるのが前提で人間どこかで頑張らなくちゃいけない。みんな~頑張ってる?俺全然頑張れてないよ。鬼越トマホークのwiki編集してるよ。
知らない団地を見ると俺の知らない人生がここに沢山あるんだなぁなんて陳腐なことを思いますが、人生とは頑張りの履歴であって街を行くあの人もこの人もなにかしらで頑張ったもしくは頑張るんだなぁと思うとこの陳腐な考えも尊く思えてくる。尊いながらもその頑張りにも多寡があって優劣があってなんでも頑張ればいいってわけでもないのが残酷ですが。この勝者と敗者を明確に生むシステムにビビってしまうわけだが、だからこそ自分が頑張るべき場所ってのはしっかり見定めていかなきゃならない。俺はデブだし喘息も持っているので長い人生を頑張って走り続けるのは無理。仕事も趣味も両方頑張るのも無理。じゃあなに?え?なんだと思いますか?正解を言います。この前ELDEN RINGを近くのGEOで買った帰路で早くゲームやりたくて物凄くワクワクした気持ちになったんですよ。俺は...こういう気持ちを守るために頑張っていけばいい... 守るために戦います。
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