遅刻するゲイ
顔が良いからという理由でとりあえず付き合ってみたのだが、周りの反応は芳しくなく「え?あんな奴と付き合ったの?」と別に仲良くもない奴から言われてしまうこともあって、「つーか、あんた誰?」と言いたい気持ちを抑えて「そうだよー!」と両手を上下に振りあたかも阿保かのように答えていたら、オーストラリアの森が焼けているというニュースが流れてきて、他人の恋愛に首を突っ込む暇があったらコアラやカンガルーを救うべきだろと強く思った。
今日は”あんな奴”ことリュウジと遊ぶ約束をしていて、新宿駅東口に13時に待ち合わせのはずなのだが既に時刻は13時半でリュウジからはなんの連絡もない。リュウジが予定に遅れることはいつもなので、スマホで「三里塚闘争」や「小室哲哉」のwikiを見たりして時間を潰していたのだが、なんの連絡もなしではあまりに途方もないと項垂れてしまう。新宿駅東口を行き交う人々は時間という大きな空気に押し出されるようにせかせかと動き、しかし今日の天気は涼やかな秋晴れであって人々の間には柔らかくゆったりとした陽の光が小川のように流れている。ここで30分以上立ち尽くしている俺もさらさらと流れる陽の光の一部みたいになってしまって、頭がぼーっとしてきた。
「1本早い電車に乗れたので5分ほど俺の到着が早くなることをお知らせします」
そんなLINEが3分前にリュウジから来ていたのに気づいて、なんだこいつはと思いつつ返信を打ち出す。
「待ち合わせって13時でよかったよね?」
「うん(グラサン)」
「今何時?」
「ごめん。13時半だな」
「なんで?」
「埼玉県と全く同じ位置に別の県があったら怖くないか?」
リュウジはとびきり顔が良いのと引き換えにとびきり頭が悪くなったのか会話が成り立たないこともしばしばあった。そういえば先日、俺がaikoをリュウジに勧めたら『ボーイフレンド』を聴いている時に「テトラポット なに」と検索していたのを思い出した。
「それは怖いね」
「だろ?」
「いつ新宿着くの?」
「もう着く。男の声が新宿に着くことを周りに聞こえるように言っている」
なにを言っているかさっぱり分からないが新宿に向かってはいるようで安心した。俺は小室哲哉のwikiから安田大サーカスのクロちゃんのwikiまで最小の回数で飛ぶ遊びをしながら時間を潰すことにした。
時刻は14時15分だった。未だにリュウジの姿は見えない。先週、待ち合わせした時は1時間遅れてリュウジがやってきて、ショッピングバックを両手に持っていた。来る途中に服屋があって、試着していたら買いたくなったそうだ。人を待たせている時に試着をするな。
1分1秒と顔触れが変わる新宿駅東口において長く同じ場所に留まる自分が惨めに思えてきた。けど今からリュウジと遊ぶんだという俺の健気な期待と自らを惨めと決定づけてそれでも笑うことは俺がゲイであるが故にどうしても許されないという安っぽいプライドが脳内に光を射そうと必死になる。さっきからずっとこの場所にいるのは俺と「堀北真希を山本耕史から取り戻せ」というビラを配っているあの男だけだ。どうせまともな返信はきやしないとも思うし、相手を急かす事による自分の狭量さを感じて嫌だがリュウジに連絡をすることにした。
「いまどこ?」
「新宿で降りたんだけど出口が分からなくて」
「え?近くいこうか?」
「ここがどこかも見当もつかない。霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまっている。こうしていてどこからか一筋の日光が射して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条で好いから先まで明らかにして見たいという気がしました」
「夏目漱石と全く同じこと言ってるよ。夏目漱石好きなの?」
「夏目漱石 インフェルノ 歌詞」
「夏目漱石はアニメのOP歌ってないよ」
「あ、もう改札着いた。大丈夫。すぐ!」
「がんばれ」
こんなことを言っても誰にも信じてもらえないと思うが、リュウジは他人の事をなんとも思っていない傍若無人な人間などではなくただ純粋に阿保なのだ。それは俺が信じているからそうなのではなく、事実としてリュウジは阿保で純粋で奇跡のような人間だ。猫をタイプライターの上で歩かせてシェイクスピアの戯曲が出来上がるのはまったくもって奇跡の確率だが、リュウジは絶対に夏目漱石など知らないのに夏目漱石とまったく同じ言葉をたまたまで繰り出すことが出来る。そういう意味の分からなさは彼の人生のスピード感が他者と圧倒的に違うから起こることで、彼が遅刻を繰り返すこともそこに起因する。もちろん、彼は遅れてきた後は必死に謝ってくれる。心から。こちらがもういいよと言うまでちゃんと謝ってくれる。だから俺は彼を嫌いになれないし、彼を”あんな奴”と謗る奴のことが理解できない。
15時になった。リュウジは改札から出られただろうか。俺は諦めたようにふぅとため息をついてから、東口の広場を抜けて新宿2丁目の方角に向かう。マルイの前を通る時に向井秀徳に似ている男とすれ違って、興味のないおじさんは全員向井秀徳に見えるなと思いながら歩く。
そうして発展場に入ってパンツを脱いでタオルで局部を隠して風呂場の前にあるソファに座ってまた目の前を流れる人たちを見る。新宿駅東口と違って薄暗くうるさいEDMが流れるだけの店内に光の小川は流れていない。人が纏う熱気だけが空気を動かし、室内の埃はキラキラと光ることなく沈殿していく。
ソファの前に人が来て俺の横に座る。そこから手が伸びてきて俺の膝を優しく撫でた。俺は撫でる手に自分の手を重ねて相手の顔を見た。リュウジだった。
「あれ、ヨウヘイじゃん」
リュウジは奇遇じゃんと言いたげな顔で俺を見つめていた。まったくもって顔が良い。俺は言った。
「遅いよ」