2025/02/17

去年の今ぐらいの時期に肺気胸という病気になり突然息が出来なくなるほど苦しんだのち、その苦しみはストレスによるものですと医師に明確に言われたので、これ幸いとばかりに私のストレスの原因は会社のせいですと産業医に嘘の涙を流しながら泣きついたところ仕事が幾分か楽になった。しかし、それから一年経った今、やはり人間というのは忘却の生き物であって俺がストレスにより自宅の小さな部屋で琥珀になりかけたことなど恐竜の時代の話かと思っているかのような無頓着具合で俺の仕事を加熱させようとしてくる上司に何か言ってやろうと拳を振り上げてみても俺の拳には既に"重さ"は宿っておらず、事実、俺は回復してしまったのである。現代日本に生きる健常な若者に課せられる使命は労働と納税であり、故に大義名分は上司にあり。上司からのプロジェクトアサインメールによって俺は息が止まったが、それも一瞬であり呼吸が出来なくなるほどではなかった。健康を恨むとは、俺は舐めた人間である。

あと2年もすれば30歳なわけだが、30代で仕事も恋愛も両立している人間は凄まじいなと思わずにはいられない。仕事や毎日の生活、洗濯物を畳んだり食器を洗ったりで忙しいのにこれに加えて恋愛をするとはまったく信じられない。
最近つくづく思うのは、男性とは一度自立してしまえばもうある程度は無敵に近い存在になるということである。経済的にも精神的にも自立すれば、そもそも誰かと深く時間を共有することは生活のノイズでしかなく、頭を悩ませるのは仕事や自分を産んだ家族の事くらいでいいはずである。そこにわざわざ恋人という要素を持ち込むのはコミットメントと呼ばれる行為でしかない。私生活にコミットメントを持ち込むのは狂人である。

しかしこれは理想論の話である。実際に30代で完全な自立を果たしている人間は限りなく少ないだろう。経済的自立は男一人であれば比較的容易だが、精神的自立はかなり難しい。それは人間には「孤独は寂しい」という感情があるからであって、誰もが寂しいから他人を求め、承認欲求を満たそうとし、Twitterで悪口アカウントが多く閲覧され、今週末露出しませんか、添い寝だけしたい(本当はSEXもするが)、あそことあそこは済らしいよ、鍛えてる奴以外は話しかけんじゃねぇよ、なんてことになっているのである。

糸井重里曰く、谷川俊太郎は「孤独は前提でしょ」と孤独の正体について話していたらしい。「孤独は前提である」とするならば、孤独を理由に彼氏を求めたり、一時の肌のぬくもりを求めることは言わば孤独に対するあがき、孤独を前にじたばたしている状態であり「孤独を前提」と捉えられていないということである。誰もが谷川俊太郎のように強くあることは難しいのだが、しかし孤独は前提と捉えることが出来ればゲイの世界の恋愛に寂しさの埋め合いという側面を求めることはなくなり、真の自由恋愛が我々の前に広がることになる。

問題はその状態で恋愛を求めることが困難である、というのが前述した自立した人間が恋愛を必要としない問題なのだが、しかし恋愛とは突然であり劇的なものであるらしい。結婚や子どもという実利の目的がない我々にとって孤独を理由としない恋愛が出来れば、それは人間の美しさに着目した誠実な恋愛と言えるのではないだろうか。よくゲイの恋愛は汚いとか言いますが、俺はそうは思いませんね。あれは男女の恋愛がドラマなどで美しく描かれがちだから男女の恋愛は美しく見えてるだけで、本当の恋愛の美しさはゲイの方にこそあると思いますよ。これは性欲とかそこらへんの問題からは目を逸らして言っていますが。俺もちんぽは舐めてもらいたいですよ。

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