2025/01/18

また金を失った話を書きますが、自らの失敗により金を失ったときに「高い勉強代だったな」と思うことで精神を落ち着かせる手法はよく見られますが、本当に高い勉強代だと思って納得できる人間などこの世には一人もいないと思う。昔、化物語で愛がコンビニで298円で売られているシーンを見たのですが、あれを見てから本当に俺は愛は買うことができる論者になったと思います。金は全てに代えられる。

消費行動というのは本当に気持ちがいいもので、俺は今まで無意識的に消費行動を繰り返していたのだと気づくことが最近多い。例えば、漫画アプリで今までは待てば0円で読めるものを待たずにポイポイ買っていたが今は1話100円程度の買い物に指が止まっている。思えば今までがあまりに浪費家だったのではと思うほどに俺は日常の中で小さい買い物が多く、これはよく言うことだが俺はコンビニでパンを買う際に2000円分くらい買っていたがそれも最近は意識的に止めようと努力している。以前まではゴディバとコンビニがコラボした意味の分からないパンを買っていたが、今ではそれらに目もくれず丸くて大きいパンを1つだけ買っている。丸くて大きいパンを買う時は嬉しい。それに丸くて大きいパンはお腹も膨れるしカロリーも高く、かなりゲイフレンドリーである。

余分な消費行動が削がれていった結果、自らの内から溢れ出る主体性というものに目を向けやすくなったという事実もある。最近は文学新人賞に向けて小説を書く時間が増えていて、金を失った俺が本当にやりたいと思うことに小説を書くという行為が残っていて本当に良かった。俺のような人間にありがちな自分のアイデンティティを見つけられない結果、指先一つで表現できる安易で楽な文字によるユーモアというものに執着し、Twitterではあえて誰も言ってないのに俺はそういうとこにも触れちゃいますよといった下劣なネタを繰り出しそれで芯を食ったつもりでいて自分は他者とは違うというメタ視点を持った気になっているが実のところ自分の中に140字以上に出てくる複雑なものはなくて結局のところ世の流れを天邪鬼にしか見ることしかできない主体性のないおじさんではないということが分かって良かった。

小説については去年は2本書いて全て選考落ちした。書こうと思えばいくらでもこねくり回して書けるのだが、しかしなんだか同じようなネタになっているなと感じることもままあり、この問題についても今後は頭を悩ませていかなければならない。
俺は小説を書く上で自分が感じる憤りや不安のようなモヤモヤを文字にしているつもりだ。そして自分が感じる社会や個人へのモヤモヤというのは他者と共有する前に自分の中で深く向き合ってみた方が良いとは思っている。それは他者との共有によって本来はもっと複雑で面白そうだった自分のモヤモヤがが単純化されよくある事象にまで均されてしまうこともあるからだ。だから一人で向き合う時間が俺には必要と考えてきたのだが、もう29歳になろうとしている最近。そろそろ他人のお話も取り入れる時間なのかもしれない。
何が言いたいかというと要はインプットの問題なのだが、俺はあまりにも外に出ないということがここにきて足を引っ張ってきている。時間を金に換えることとインプットを増やすことを同時に解決できる術を打ち出していきたい。

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