2024/10/29

太っていて明るい人間などかなりの稀人であるが、会社の後輩にそういうやつがいてその物珍しさから露骨に可愛がってしまっている。部署は一緒だが担当は違うので仕事上で話すことはほとんどないのだが、昼飯をよく誘ったりしていて、俺が後輩を飯に誘うなどあまりないことだから周りの人間は冗談で「後輩をいこうとしている」と言ったりするのだが、俺は本気で”いこうとしている”のだからどうしようもない。
上司が気に入った部下を優遇し邪な感情を持つなど俺には全く関係のない話だと思っていたのだが、それに近しい感情を持つようになるとは思わなかった。嫌な大人になったものだ。もちろん、仕事上はフラットに接しているつもりです。

大人になったことの一つとしてもう一つ実感するのが、俺たちの昔が本当に昔になったことにより懐古の話に味がしてきたことだ。例えば、音楽の話になり俺たちが学生時代に流行っていたAKBの話をするとしてAKBの全盛期が2006年くらいから始まる。2006年、18年前である、昔すぎる。俺たちの中での昔とは、それこそ昭和の時代の話をするのが普通だったが、既に時代は令和。平成の前半は年月としてもうかなりの前であり、いよいよ実感を持った懐かしい話として俺らの子ども時代の話が出来るようになってきてしまった。嫌に大人になったものだ。

大人になってもう8年経つがSEXをやり始めての年数もそれくらいになるわけだ。なんだかそんな感じがしない。もっと昔から俺はSEXと触れ合ってきた気がする。思えば、小学生の頃にちんこ及びちんぽという言葉にハマり、ちんぽ楽しい期と呼ばれる時代がスタートした。その時代は終わることなく未だに俺はちんぽ楽しい期をやっている。恐ろしいことだ。いつ終わるのだろう、この時代は。50歳の俺が登場して一言、「まだちんぽ楽しい期は続いている」と言ったのならば、下手したら一生続くことも考えられる。

近頃、友人たちはSEXより添い寝がしたいよね、と口々に言始めていて、この発言は無欲の仮面を被り獲物を捕らえる食虫植物と同じような行動と思っていたのだが実際はどうなのだろうか。みんな、ちんぽ楽しい期は終わり、別の時代に到達しているのだろうか。
元々SEXなぞ人間二人が並んで寝られるような体構造をしていないから生まれた行動だと思っている。つまりSEXとは暇つぶし。生殖の為にSEXが必要になったのは後付けの設定であって、先にSEXがあり生殖機能は後。同じく、人間の言葉、言語というものは人間が生まれた後に生まれたもので人間が生んだものとは人間が生んだ故にひどく不完全で頼りないものになる。
人間が猿から進化した時、または神が原初の二人を誕生させた時、始まりの人間は並んで寝転んで星を見ていたのだろうか。であれば、最初にあったのは添い寝であり、SEXはその後に生まれたものでしかなくなる。言葉もSEXも超えた原始的な情動として添い寝があるのならば、SEXを用いて添い寝を否定することは最も愚かな罪になるのではないだろうか。大人になってから夜が長くなったと思いませんか?


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