2025/01/29
ここのところのニュースは人を糾弾するものが多くて、それらがちらと目に入ると暗い人間あるあるとして自分が糾弾される立場を想像してしまい金玉が少し小さくなる。
社会的に悪いことをしたのなら問題への糾弾は必要であるが、個人的な諍いに関係ない第三者が率先して石を投げている光景を見るのはもう何度目だろうか。率先して差別を行う人間と飲尿プレイをする人間をいつまで経っても理解出来ないまま自らが差別主義者になるか乱交会場で逮捕されているのが俺なのだろう。
自分にとって全く理解が出来ない行動をする人間でも、普通に社会生活を送り誰かに愛され誰かを愛してるのである。友達がいてパブで酒を飲み、朝日を浴びながら朝マックを食べているのだろう。
俺が出会った中で最も極悪だと思ったゲイは、他人から借りた金を踏み倒し、浮気を繰り返しながらヴァイオレットエヴァーガーデンの7話で号泣していた。
嫌なニュースばかりだからといって、それに流され嫌な気分になるのすら最早陳腐な感情の動きであって、それはそれ、これはこれとして人間の多面性というものを信じ続けて健やかに生きるのが王道になっているのだろう。
動物園や水族館で赤ちゃんが産まれたニュースばかり流れたらいいのにな、なんて願いはガキの意見でしかなく世界は人間の複雑さを踏まえた上でしれっと、分かってますよ、そういうものですよね〜、という暗黙の了解又は諦念の中でなぁなぁに続いているのかもしれない。全てのことを知ろうとするのは不可能で、全てにおいて納得しようとすることもこれまた意味のない行為なのだ。バニラってガキのSEXですよね。
そんな中で俺も健やかさを以って、自分の世界を広げることに必死になっている。
文章にしろゲイ活動にしろ色々とやってはいるのだが、これから大変になりそうで既に少し眩暈がしている。しかし同時に勃起もしている。なんか露出が増えたらエロい男が釣れないのかなという期待の勃起でもある。
いつかのオードリーのラジオで若林が、「安定感のある仕事をすると同時に足の震える仕事もしていかないとダメになってしまう」と言っていた。若林がそう言うのだからきっと俺もそうなのだろうと思う。現状を変えることは少し怖いが、足の震えない状況に居続けることには懐疑的でなければならない。
去年までは、「あのー、俺ってなにすればいいですか?」を人生単位で思っていたが、今年はそう思うことを減らしていきたい。どちらにせよこのままだと中年独身男性となって駅を早足で歩き、誰かにぶつかると不機嫌になるような人間になっていくしかなかったので、その可能性を少しでも無くしていこうというだけの話です。