2022/04/12

毎度毎度天気の話から文章始めて申し訳ないですが、今日も暖かいですね。というか暑いくらいだ。夏が始まってしまう。俺は夏が嫌いでそれはなぜかと言うと暑いから以外になにもないのだが、こういうことを言うと夏には楽しいことが沢山あるよって夏至上主義者の反論を浴びてしまう。海、夏休み、花火、祭り、確かに夏の風物詩って素敵ですねってもんですが、でもそれって夏じゃなくても出来ますよね?と俺の中のひろゆきが屁理屈を覗かせる。そもそも暑いから海に行きたくなるし、暑いから夏は休まなやってられないってだけで、こんなのはマッチポンプ、いわば夏を好きって言うのはDVされた後に優しくしてくれる男に依存している状態なんだよと思ってしまうのが俺のひろゆきの悪いところだ。こら ひろゆき、理屈をこねるなよ、ありのままを楽しむ心を持てよとひろゆきを制しながら今年も夏を過ごさねばならない。俺の夏はひろゆきと共にある。

昨日、ジャンプ+で藤本タツキ先生の「さよなら絵梨」が配信されていましたね。俺もタツキ先生の作品は毎度話題になるので見てるんですけど、毎回「ほえー、なんか凄い」という感想以外あんまり出てこなくて、他人の感想を見て「なるほどね」って言うダサいことにしかならないのだが今回もなんか凄かったですね。作中でも絵梨が言ってたことだが、タツキ先生が多くの映画からインプットを重ねて描いているなと分かる作品でこの手の作品の意図を汲み取れるのは同じく多くの作品をインプットして知識としてそれを知っている人だけだと思うので、俺のような凡百はただただ「おーすげー」と作品の圧に口を開けるしかない。

ただそんな圧倒される作品の中でも自分の中に落とし込めたシーンは何か所かあった。例えば「作り手も傷つかないとフェアじゃない」っていうセリフがあるのだが、これもう確かにその通りだと思う。これの反対ってわけではないけど反対に見える意見として「自分の作品に批判的な意見は気にしなくていい。気にしてる間に自分の個性がなくなってしまうから。」って考えもある。これはこれで優しい意見で良いと思うのだが、これを突き詰めていくと「作品に肯定的な人間だけが楽しめばよい。」という排他的な考えにつながってしまう。自分の好きなようにやるのは当然なことなのだが、それが選民につながるとそれは作品を触れた人にとって不誠実。名も知らぬ人間の全く的外れな批判を聞かないようにするのは大事なことだが、真っ当な批判も聞き入れなくなってしまうとやはりフェアじゃない。結局批判する他者も一人の人間であって創作ってのはどこまでいっても人間相手にやるしかない。作品と相手に誠実でいるって物凄く難しい。
怖。なにかを作るってめちゃくちゃ怖いですね。

真面目な感想だけの日記になってしまった。俺はファンタジーを一つまみならぬ下ネタを一つまみ入れるのが癖なので、真面目な感想日記にも下ネタ入れときます。今日はもう2回シコってます。


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