2025/02/04

1月も早くに過ぎ去りもう2月なのだが、しかし気づいたら夏とかになっているので現在が何月かなんてことはもはや意味を成してなどいない。過去はすべて思い出であり、現在すら過去に1分1秒と取り込まれ形を成していない。その点、未来は常に不定型の希望であり、俺たちは未来が過去になるまでその不確かなものにアリバイを作り不安を逃がすことで生きている。
今年こそは彼氏を作りたい、という言葉は幸せな自分の担保を行う言葉であるが、しかしこれを言っておけば不定型な希望により現在が気休めになるのだから、それは意志というより占いやおみくじのような嘘の言葉に近い性質を持つのかもしれない。

初詣に行っておみくじを引くのは定番となっているが、俺はおみくじを引くたびに「これは嘘だな」と思っている。メタ的な視点で見た冷笑主義という側面も持ち合わせているので褒められたものではないが、しかし100円で引いたくじに本当のことが書かれているとしたらバカバカしくなってしまうのは当然の事である。しかしそのバカバカしさがあるからこそ、おみくじはあれだけポピュラーになり、本当さを生み出しているのだとも言える。所謂、メタに対する批判、シュールから見た視点「そんなこと百も承知でこっちは楽しんでんだよ。バカは引っ込んでろ」というやつもあり、おみくじを引く人のほとんどはこっちの視点であろう。

最近とことん思うのは、シュールの視点を持ち合わせながら物事を楽しみ尽くすのが真に優れた人間であるということである。人間の成長の一つとして物事を俯瞰して見えるようになることで、全体を把握し常に冷静でいられるという段階がある。これは他人に賢く見られるため非常に気持ちのいい行為なのだが、しかし程度を間違えるとただのメタを意識するだけの冷笑批判人間であり、制作活動を行う人間への邪魔でしかない。重要なのは、俯瞰で見つつも場の流れに順応し、ロールプレイが出来ることなのである。おみくじ程度であれば、誰でもこんなことは出来るのであろうが、やはり徹底してメタ視点に落ち着かないということは結構難しい。気恥ずかしさが原因で物事から降りてしまうことはそれなりにある。
ゲイSEXの場合、中出しする際に「俺の子ども孕めよ?」という言葉責めが存在するが、これはかなりメタ視点に降りやすい言葉である。なぜなら嘘だから。ゲイSEXで孕むわけないのだが、そこを降りずに「生種ちょうだい」などとロールプレイを意識して無理なく言うことが出来れば、それはもう優れた人間と言う他ないだろう。

俺が冒頭で書いた、現在が過去に取り込まれ意味を成していないというのは完全にメタに降りきった視点である。「人生は死ぬための暇つぶし」とか言っている人間に面白い人間がいたことがないように、やはりメタ視点というのは悪性を多く含む。ならば、人生に対してどのような俯瞰性を持つべきか?『ピューと吹く!ジャガー』という漫画はこの問題に対して完答に近い答えを出している。

ピューと吹く!ジャガー 8巻より

これをベタな励ましじゃなくて、シュールギャグとして使ってるのが『ピューと吹く!ジャガー』の凄いところである。

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