2024/10/21

靴下に穴が開く瞬間を誰も見たことがないように、悪い事というのは水面下で進むことが当然のような顔をしているから俺たちの認識も当然そうなってしまって、気づいたら手遅れ、なんてことは世間に往々にしてあるから俺たちも気づいたときには手遅れと思ってしまうのだと思う。一体いつまでが物事の期限で悪い事はどこまで俺の身体を蝕んでいるか、それは結局自分自身では分からないので休日に家で「実は主人公がやっていたことが…ゲーム4選」とか「後味の悪い映画5選」なんていうショート動画を見て時間を潰し、あー明日リアルあるからなー、SEXの約束はないけどSEXするかもしれないからシコるのやめておこうかなーとか気持ちの悪い事を考えて、でも結局シコって寝る生活を繰り返すことだけが俺の人生のすべてになってしまうのだろう。

よく「○○歳になってもその生活ってどうなの?」とか言う人を見かけるが、どうなの?ってどういうことだ。社会規範を逸脱した行為や罪を犯していない限り、他人がどう生きようと口を出すまでもないと思うのだが、実際には年齢という記号に規定された模範的、または標準の暮らしというものがありそれをなぞったような暮らしが成人した人間には求められている。俺がこの言葉に不安を感じるのも、自分の生活というものが既に手遅れになっているかもしれないという予感があるからかもしれない。

この前、俺が日記や作文を書いていることを飲みの席で知られてしまったのだが酔っている40代くらいの男性から「そういうの書いてどうすんの?」と聞かれた。「はぁ、シコッた後の紙に使ったりしますよ」と答え難を逃れたが今思い返してみるとこの質問ってなんだったのだろうか。そういうの書いて(普段役に立たないけど)どうすんの? ということだろうか。そりゃあなたに「普段」しかないのなら役に立たないことは明白だろうが、こっちは「普段」以外の事も考えていてそして実際に「普段」以外の事に頼らざるを得ない時もあるからいいんだよ、と思う。俺は多分年齢によって規定された標準の暮らしをなぞれていないのだろうという思いだけがぐるぐると頭を回り、気づいたら4杯頼んだカシスオレンジは全て蒸発して消えていた。嫌なことがあると酒を飲むことを初めてした気がした。

Twitterで話題になった「美緒生きていけないよぉぉぉ」の画像があるが、あのコマは漫画のラストらしい。生活力の無い美緒が生きていけないことを示して、その後美緒がどうなったかは描かれていないそうだ。しかしよく考えれば俺も「美緒」なのだろうと思う。俺に配偶者 なし 子ども なし 生活能力 なしというカッコいいモノローグがついても俺という存在と何ら外れた箇所はないように思う。俺は「美緒」。ゲイとして生き、金のない奴らは大体「美緒」です。あなたも「美緒」かもしれない…

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