2025/02/18
先日も書いた通り、俺はまったくの健康体であって精神の方も毎日2回はシコるほどの快活さを見せているものだから社会にこれでもかと適合していくことが出来ている。そもそも行ったことのないゲイバーでバイトを始め、別にそれも特に苦しむことなく適度に話をしていれば時間が過ぎているという事実だけ見れば俺はそれなりに適応力が高いのだと思う。
最近は好きなことは全然やれるけどしんどいことはとことんやれないという新型うつ(非定型うつ)が症状として認められているから、自分も鬱なのかもしれない、という可能性に賭けたくなる人間が出てきて、かなりライト、キャッチーかつポップに自分は社会不適合の鬱である、という言葉もそれを大っぴらに否定は出来ないようになっている。別に鬱じゃなくてもADHDとかそういう言い方をしているのかもしれないが、自分は社会不適合だからという理由に精神の病を使いやすくなったのが最近だと思う。
バーで働いている限りは明るく振舞っているので「ほんとは明るいんでしょ?」と時々お客さんに言われるが、日記でアルバイトの感想を1500文字近く書いている人間が明るいわけがないというのは事実としてあることは伝えておかなければならない。しかしそれでも明るく見えるのは、ずいぶん前に星野源が「僕みたいに本当は人が好きなのに「人見知りだ」っていっちゃうってことは相手に「僕、人見知りなんで気を遣ってください」っていってるのと一緒だなって。それってすっごい失礼だなって思って…。」と言っていて、これに甚く共感したからだ。俺も暗い人間であることは自分で認めるところだが同時に人と接するのはそれなりに好きなのだ。つまり俺は星野源。俺は星野源なので人の前では明るい自分を出すようにしている。
酷なことを言うようだが、「自分はADHDなのだからこう扱って欲しい」というような望みを前面に押し出してくる人も、この星野源の言う人見知りと同じように感じてしまう。すいません、冷酷なこと言ってますよね...。金玉触ってもらえますか...?
精神の病で本当に苦しんでいる人も知っているから、そういう人は理屈ではないハートの部分で接するのだが、前述のようにライトに自分を社会不適合と定義し心因的なことを理由に「こっちもつらいんだよ」と言ってこられてもそれは主観の世界の話であり、関係も浅く自分がその世界を覗けないのであればその理論で気を遣うことは難しい。ほんとに酷いこと言って申し訳ないのですが...。金玉を...はい...よろしくお願いしますね...。
またゲイバーの話になるが、ゲイバーはお酒を飲む場だがその中で「もうこれ以上飲めない...」となっても飲むことを止めるな!と言ってくる人間がカウンターの内にも外にもそれなりにいる。これも「もう飲めない...」という主張は主観の話なので、それはこちら側には分かりません、成立しません、となってさらに飲むことになる。それを止めるには場ゲロをするしかない。しかし場ゲロはしない方がいい。お酒を飲むヒリつきが分かって頂けるだろうか。これは過熱したノリの話であって、精神の病の話と並べて書くものでは決してないのだが、すいません。ここまで書いたので残しておきます。
お酒とは違いこういったデリケートな話は言ったもの勝ちの世界になりつつあることで、それを自分が最大限楽をするために使われてしまうことも起きてきた。極端なことを言えば自分がどれだけ社会不適合だとしても対面している相手は竜かもしれないのだ。竜が人間社会に適応しようとして俺より頑張っているかもしれないのだとしたら、俺はなんなのだろう。俺は...俺もまた竜。風を纏い大地を穿つ竜なのだが、しかし竜だからこそ俺たちは人に優しくしてもらうことを目的とするのではなく、自分が他人に優しくあろうとすることを忘れてはならない。優しくあればもうなにもいらないですよ。金玉だって触らなくていいです。俺はいつだって金玉触ってほしいですが、優しい人と一緒に正しくあれればそれで本当に充分なのです。竜の金玉ってデカいのかなぁ?