2024/10/10
昨日、久しぶりの気持ちのいい目覚めだという自覚のもとに体を起こすと時刻は9時20分であった。会社の始業は9時なので大幅な寝坊である。本当は出社して片づけたい仕事があったが寝坊しましたとすごすご出社する姿を想像するとまるで無様であって上司から槍のような小言で体を貫かれまた体に穴が開くかもしれないので、申し訳ないと思いながらもしれっと予定を出社から在宅へ。
しかし在宅での仕事など実際はやることがほとんど無いのでゼリーを作る動画を見たりコンロでマシュマロを食べごろまで焼いたり壁にペニスを擦り付けたりするのがほとんどになってしまう。在宅を抜け出しセクースでもしに行こうかとナイモンでハウリングしてみるも、結局外へ踏み出す為の諸々の準備を憂い面倒くさくなってスマホの画面を見てシコることにしてしまった。
しかしここまであからさまに仕事をしていないことを表明するのも大人としてどうか、という意識が最近はある。ブラック企業は認められるべきではないという言は大変理解できるが、仕事そのものを舐めてかかり俺は仕事とかそういうことで生きていませんから…とあげつらうこともまた本来は認められるべきではないのではないか。生きているだけで偉い、とSNSの中のよく知らない人は言うが実際は生きているだけで偉いということはなくて社会人としての要件を満たさずただ努力もなく流されるままに生きていても日々は過ぎ去っていくだけ、ということを極力自分有利に言った言葉が「生きているだけで偉い」ということなのではないだろうか。
働いていないものは働いているものよりも当然報酬は少なくあるべきだし、俺は実際それを受け入れた上で人生を仕事ではなく別の部分での躍動を夢見て生きているわけだが、俺のこの働く態度は仕事での躍動を目指している人間からすれば大変目障りで許されざることをしているのではないのか。生きているだけで偉いなんてとんでもない、俺は生きているだけで人を傷つけているのだ。
昔、あるゲイの宅飲みにお呼ばれした時、なんというかその会はいわゆるモテる人が多くて、特に主催者とされる人からあふれ出る絶対的な自己肯定感、場そのものが彼を陶酔させている感覚があった。俺たちモテるし、という論理で話を進め、いつどこでどのように有名な人とSEXをしたという話が主題となっているような会だった。俺はビジターとして一度参加しただけだったが、とにかくその会に漂ううっすらとした躁状態は何か危険な香りがして「俺はここにいるべきではない」と強く思ったことを覚えている。他者というのは無遠慮にそして無責任に自分の事を肯定してくれるものだから自らの良い面も悪い面も総てが助長されるような気がして身の丈に合わない行動までしてしまう。身の丈に合わない行動をするなとは思わないが、それが他者に過大な迷惑をかけたり尊大な態度を取らせて無知蒙昧と捉えられることは避けるべきだと思う。
俺のこの仕事に対する態度だって酷く浅慮で、倫理性に欠け、取ってつけたような謙虚さも一緒になって醜いものになってやしないだろうか。自分がニュートラルな立場でものを言えているというのも驕りであって、そんなものも必要ないのかもしれないが俺は虫であって狡猾な蛇であって浅ましき豚であるので身の丈に合った行動をしなければならない。しかし、コンロでマシュマロを焼くことと壁にペニスを擦り付けることは止められない。特に壁にペニスを擦り付けることは早く誰かに否定されなければならない。俺の白い精液が真っ白な壁紙を汚している。