2024/11/07

衆議院議員選挙にアメリカの大統領選挙と政治の話題に事欠かない近頃であるが、もろちん俺も選挙へ投票に行ったしアメリカの大統領選挙についても動向や歴史について調べてみるなど、政治への興味関心というものが高まっているように思う。20代前半の頃は政治への関心も薄く、大きな流れに突き動かされるように投票には行っていたがマニフェストを見るとかそういうことはしておらず正直適当に投票していた。数年前、俺が練馬区に越してきたあたりで俺のちんぽがデカすぎるあまりに俺の居住による選挙区が東京都の選挙8区、9区に跨っていることが判明し日本で初めてダブル選挙区による投票権を持つ人間となって以降、政治への関心が高まったように思う。政治への関心を持つ動機とは人それぞれだが、民主主義への参加を果たすことが重要だと思う。

ゲイとして生きていると社会へ参画しているという意識が弱まってくるように思う。それはゲイが家族という集まりを形成出来ずに独りの感覚を強めていくからだと思うが、そもそも家族という集まりが社会への参画に必要かと言うとそうではないのが真実だ。
人の一生として親に育てられ独り立ちし好きな人と出会い二人となり子どもをもうけて老後は孫と遊ぶ、なんてものがロールモデルとして考えられている。そして一般的にもそうなっていくのが普通でしょ、当たり前でしょ、という強い”思想”がある。こういった思想は、国家という集団にとって人口の再生産を都合がいい理想のものとして考えられているからこそ植え付けられた思想であるし、日本人が抱えている人生のロールモデルとは言わば国家の夢、願い、幸せなのではないかと思う。それとはまったく違う地平で個人の夢、願い、幸せが存在し、残念ながら俺のような女性と結婚する意志もなく子を育てる夢もない(フルハウスのジェシーおじさん的に育てたいとは思っている)人間の持つ個人の幸せは国家の幸せと相容れない箇所が多いから、社会から受け入れられないと感じ帰属意識が薄くなる。

こうなってくると政治への関心も薄くなってくるものだが、しかし個人の幸せを突き詰める俺が集団の意思決定をないがしろにしていいかと言えばそんなことはなく、集団の最小単位とは個人であるし、なにより大多数の幸せを願うことは美しいことである。
上で朗々と語ったが、昨今は個人が個人のまま幸せになろうとする意識も社会全体として強くなってきているし、セクシャルマイノリティへの配慮という考え方も表に出始めているので政治についても当事者意識を持つことも必要なのかもしれない。そして俺はちんぽがデカすぎる故に選挙権をダブルで持っているので、通常より一票の重みがダブルである。具現化系・操作系・放出系能力の複合技として俺はこの「分身(ダブル)」を完成に近づけてみせる。俺が真面目な話をしているか、ふざけて話をしているか分からないか?ならばいっそこのまま何も解せぬまま死ぬか?(ハンターハンター6巻53話 カストロのセリフより引用)

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