2025/02/21

インターネットネイティブ世代である20代の人間は、ネット上で自己を表出させることに躊躇いがある人間が多い。というより、俺と同世代の26~33歳くらいまでの人間はインターネット文化の狭間の世代みたいなもので、ネットに個人情報を出すことに警鐘が鳴らされていた世代であって、SNSに顔写真出すの怖いとかYoutubeで利益を出すなんて何事?、出会い系使うやつは弱者でしょ(ノンケに限る)みたいなうっすらとしたネットの暗さが付きまとっていた世代である。その癖、アニメの違法視聴とかは罷り通っていた世代なのでそこら辺のリテラシーは低いときている。デイリーモーションでまどか☆マギカを見るな。Music FMという違法アプリで音楽を聴くな。
俺より上の世代はそもそもネット文化に疎いし下の世代はバリバリにネットで自己表現することが普通の時代である。ネットでマネタイズ?普通でしょ、みたいな価値観に均されているので自らをコンテンツ化することにあまり躊躇いがない。つまりSNSが上手い人間が多い。そこから逆張りをした古い価値観の人間がいるのも事実だが。特にこんな日記を見ている若い世代はそっち側かもしれない。

SNSで自己を表出するということは、もちろんその批判意見にも晒されることもある。これは世代というより日本人の気風である「目立つものを疎みがち」という側面が影響しているのかもしれないが、時にネットでは自己承認欲求を強く出してきた人間に対してそれを潰すという形で自己承認欲求を表現する人間がいる。
例えば、60分7万円という話題が登場した時、「俺なら60分7千円でやるけどな...」とか「俺ならタダですけど...」とか言っていた人たちは言わば表現を潰すという形で自己表現をしているわけだ。もちろんその行為自体が悪いというわけではなく真っ当な意見(正当性)を含んでいたりすればそれは意見だし、それが誰にとっても面白ければ(ユーモラス)お笑いとなり得る。なり得るだけだが。

世間を厭らしい見方をすれば、人は誰もが自己承認欲求を抱えドキドキしながら先んじてそれを表現した人間を叩くという形で自らの承認欲求を表出していく術が横行している。「争いは同じレベル同士でしか発生しない」という言葉は端的にこの状況を表しているとも言える。

もちろん全ての自己表現が潰されるわけではなく、個人の尺度、それを集合した無意識がなんかこいつ気に入らねーなとなった瞬間にそれが行われるわけだが、無理矢理ここを言語化してみると、例えば、Twitterにおいて質問箱ばっかやってる人って疎まれたりする。あれは恐らく「質問ください!」という態度がギブアンドテイクの形を成してないからであって、投稿主はただ座って待っているだけで質問が来ると思っている態度が気に入らないのだと思う。反面、音楽とかダンスとか、その手の表現者の努力、表現の手間がかかっているものは人々はすんなりそれを受け入れる傾向があると思う。Only fansで稼ごうとしている人間に風当たりが強かったのもSEXなんて娯楽でしょ、ウケは正常位の時足持てよ、という無意識がそうさせたのだと思う。YouTubeと同じで業界にクリエイターが乱立して競争の側面が強まれば人々はその競争を努力と思い込み、そこに何かを思うことも少なくなってくると思われる。

ただやはりどんな自己表現であれそれを批判するという形に持って行った瞬間に人は同じレベルでの争いに参加したことになり、そしてその争いは参加した時点で負けである。どちらかが勝つのではなく参加した瞬間どちらも負けとなる戦いがSNSには多すぎる。争いは放っておくに限る、これがインターネットネイティブ世代である俺たちの共通見解である。

じゃあ、争いが発生した瞬間で負けとなるならこの自己承認欲求はどう処理したらいいんですか?俺は友達もいないし彼氏もいない、顔も良くありません。という人がいると思う。そんな人は思い出してほしい。このSNS時代において批判されながらも表現をやり通している人間を。そう、ジムの更衣室で半裸の写真を撮りそれを淡々とあげ続けている人間の雄姿を。表現は言葉を通した時点で弱化する。語らず示し続けろ。人間は継続というものに狂気を宿し、それは無言で社会に圧勝し続けることが出来る。

継続と言えば、未だにゲイバーのバイトはクビにならずに継続しています。21日と22日も入ります。お金をもらっているので宣伝します。俺はお金をもらう意味を分かっているつもりです。

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