2025/02/05

先日、60分7万円という価格設定のゲイマッサージ広告が我々のTwitterの中で話題になり、それを滝沢ガレソというTwitterでゴシップを専門に扱う一般的にもそこそこ有名なアカウントが取り上げてしまったことでゲイをターゲットとした商売がノンケの人にまで知られてしまうという事故が起こった。
俺は渦中のゲイマッサージについては特に思うことはない。60分に7万円を払える人のためのサービスなだけなので、俺のような人間からしたら感熱紙くらい縁がない。縁がないので特に感想も出てこない。女性の同僚と世間話していると時々言われる「お金貯まったら整形したいんだよね」くらい感想ない。へぇ~、となるだけ。みなさんも縁も感想もないことになんだかんだ言うのはやめた方がいい。悲しむ人もいるんだから。

俺がどうこう思ったのはそちらではなく、滝沢ガレソの当該ツイートについたリプについてだ。そこには、「アカウント見たけど気持ち悪!」「吐きそう」「閲覧注意」といったリプが多くついていた。
週末になると男と二人、もしくは数人で裸になり金玉やちんぽを丁寧に舐められては「おほ~、気持ち良い~」と唸っているような日常を過ごしている俺からすれば忘れてしまいそうになるが、やはり一般的に太った男と太った男が裸でベッドの上に並ぶことはそれなりに異常な事態であり、見られたものではないということである。
そういう一般的な(ノンケの)感覚はこちらも理解するべきであるが、しかし今回はゴシップとして滝沢ガレソが面白おかしく取り上げ、能動的にアカウントを覗き、ゲイ向けに内々でやっていることに触れてきたのはノンケ側であり、それで俺が後ろ指をさされるような気分になっているのは一体なんなのだろうか。こういう誹謗中傷を見ても、慣れたものですよ、昔はもっと酷かったんだよ、なんて思うことはそれはそれで大変たくましい限りであるが、俺はやはり人間が人間に対して「気持ち悪い」なんて言っているところにはできる限り出くわしたくない。人間は気持ち悪いものであるが、しかし他者に気持ち悪いと言われた瞬間にその人間は終わる、脆い生き物なのだ。

ダイバーシティだなんだと言っているが、人権意識ってどこにいったのだろうかと東京都心のビルの隙間にある室外機の群れを見ながら考える。思えば人権意識なんてものは、言葉と同じように人間が後から生んだものである。人間が後から生んだものが不完全であるのは、言葉を日々使いそれに悩まされている皆さんも分かるところだろう。
我々は生まれた瞬間に脳と心臓を持って生まれるから、それらは傷つけてはいけないという本能が働きそれらを守るように生きている。しかし、他者の尊重、つまり人権を守るなんて考えは後から生まれ、大切にしましょうね、という意識は人々の暗黙の了解の上で成り立っている。
ドラッグストアの店の外にトイレットペーパーやカロリーメイトが陳列してあるのは、別に盗まないですよね?という共通認識のもとに成り立っている。人権意識というものもあのトイレットペーパーと同じようなもので、守りますよね?という人々の共通認識があるからあるように見えているだけで、インターネットという匿名性が加わればそれが見事に瓦解するのはガレソの当該ツイートのリプライを見てみれば明らかである。バレない犯罪ならばガンガン手を染められるのは人間の性なのかもしれない。

しかしながら、俺はこれをただ悲しいですねとかこれだから人間は…という結論におさめたいわけではなく、結局、人権意識というものがドラッグストアのトイレットペーパーのようなものだとするのなら、それは決して軽はずみに盗んじゃだめですよということを若い世代にしっかり教えていくことが肝要だと思う。それは今回のような人権意識が薄い人たち、またはいつかその共通認識を忘れてしまうかもしれない自分への戒めとしても、他者を尊重し、とにかく楽しんでる人間がいるものに対して「気持ち悪い」などと言わないように、住み分けを自分で出来るように、そういった意識を常に磨き上げながら、若い世代の人たちはあのようなもので他者を傷つけないような人間になっていって欲しいと願っている。
実際どうなのだろうか、若い世代ってやはり多様性という言葉を多く聞いているから、今の現役世代よりそういった人権意識って強いのだろうか。お互い迷惑をかけないようにしたいですね。露出とか、本当に良くないですよ。発展公園とか発展銭湯とか楽しいかもしれないですが、反省してください…。俺も若いころにムラムラしすぎてコインランドリーでシコったこと、未だに反省しています。

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