2025/02/19

先日、社内報に俺のコメントと笑顔の写真を載せたいのでコメントと写真を下さいと管理部から連絡があった。簡単にコメントを書き、写真を送ろうと写真フォルダを見てみると驚いたことに俺が写っているまともな写真はなんと自撮りしかないことに気づいた。この事実に気づいた途端、俺は侘しい気持ちになった。俺は他人と写真を撮る機会が限りなく少ないからこういうことが起きている。つまり、俺は友達が少ない...。
そういえば、ゲイバーでアルバイトする際もSNSに載せる写真を求められたが、あれも良い写真がなく結局何か月か前に撮った自撮り画像を送ったのだった。ゲイバーの写真なのだからハメ撮りで俺の顔が映っているやつでも良いかと思ったがさすがにそれは店長に却下されてしまった。訂正するが、俺がまともに映っている写真は自撮りとハメ撮りだけである。なんと貧しいことか。

しかし、成人男性においてまともに写真を撮るなんてことはあるのだろうかと思い、LINEのプロフィール画像を見てみるとゲイの輩どもは綺麗に顔を映した写真が雁首を並べているが、ノンケ側を見てみると彼らは見事にラーメン、車、魚、などの人間ではない顔面が映し出されていて少し安心する。男で自分の笑顔の写真など持っていないのは普通ではないか?という無理矢理な思考に光が差してきて俺の顔は綻ぶが、しかし俺の顔が綻んだところでそれを写真に撮る者は誰もいない。そうであった、問題をすり替えそうになっていた。今は他者と比べて安心する時間ではなく、絶対的な自分の友達の少なさについて憂い悲しむ時間であった。他者を見て精神を落ち着かせるのは人間の性であるが、それが差を生み、争いを生み、人間が絶滅する理由であった。知性の反動として生物は他者へのマウントを覚える。俺はそれを容認してはならない。世界を正しくする使命をある不死鳥から授かっているから。続きは『火の鳥 未来編』を見てください。

とにかく、写真をどうにかしなければいけない。俺は去年の暮れに参加した友人の結婚式で撮られた集合写真を引っ張てきて、その俺の顔部分を超拡大することでなんとか”笑顔の他撮りの写真”を生成することに成功した。普段から友達と出かけたりしていれば、笑顔の他撮り写真など如何様にも用意できるのだろうがそういった人生を歩んでこなかった自分を恨むばかりである。いや、最終的にそうならないように今は足掻いているのだが果たしてどうなることか。友達と遊んだ後の一人の時間の心地よさの事ばかり考えている俺に他者といる資格などあるのだろうか、と考えてしまうこともある。そして同時に友達と別れた後に笑顔のまま5分くらい歩き続けた自分がいたことも覚えている。他者という温かさの触り心地はまるで阪急電車の座席のように常に新鮮で安心できるものであるが、しかし温かい車内から外に出た時の鼻に広がるツーンとした感覚も俺は同時に愛している。最近寒かったり暖かったりですよね。バイトでくたくたになるまで働いた後の朝の冷たい世界が存外気持ちよく感じてしまって、「さみー!」と騒ぐことが出来ないから俺はやはり他撮りが少ないのだなと思ったりしている。

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