これで飯買って食えよ。( `ー´)ノ-片親パン‐

片親パン、このワードをXで見かけた時、まさに自分の幼少期を思い起こされるワードだなと思いました。

これは、ただの愚痴です。それでも良ければ以下、駄文をご覧ください。


自身は、物心つく頃に母親が失踪しています。
理由は単純明快で、親父が脱サラしたからです。
安定思考の母親は、それが許せなかったらしく夜逃げ同然で姿をくらましたそうです。(兄の証言)

良くも悪くも親父の事業は乗りに乗って大金持ちになった訳ですが、それも10年足らずで破産に追い込まれます。
さらに、逮捕されてます。(懲役10年、模範囚で刑期短縮2年)
これは、別で記事にしようと思います。(おもちの幼少期続編で)


自身もその恩恵を受けてはいますが、少し寂しい気持ちでもありました。
それは、親の愛情というモノを少しも感じられなかったから。
これは、過去に記事にしたので見ていただければと思います。

母親の先見性は正しかったのです。
私は、幼少期は山で育ったサルの様な生活をしていました。
小学校の時から身の回りのことは全て自分で行っていた。
親父の連れてきた女は数知れず、後に再婚した継母は家事すらできないクソ女。
継母の作る料理は食えたものではなく、残せば無理矢理口に押し込まれるという拷問に近いこともあった。
更には、毒をも盛られたこともあった。
(恐らく、掃除に使う薬品か何かだと推測しているが、今となっては分からず)
一日中のた打ち回っても、見て見ぬふりする継母は今でも記憶に残っている。悪魔の様な形相で睨みつける顔は今でも忘れられない。
(AI曲で歌詞にした人間故人間也の原案)

「人間故人間也他プレイリストへのリンク削除しました」

兄も自室に引きこもるわけだ、と後日談。

本題に入りますが、小学校、中学校は給食の無い日があります。
その時に、継母が弁当を作ってくれるわけもなく、小銭を投げ捨てるように渡され、「これで何か買ってくれば?」と言うわけです。

周りがお弁当を持参してくる中、自分だけコンビニでパンを買って食う行為は当人にしか分からない、葛藤があります。

みんなの前で、食べられない。
席も離れられない状況で、カバンの中からパンを取り出し食べる光景は、他の子供たちから見たら異様な光景に映っていたと思う。

馬鹿な性格で、人気だけはあった自分に、周りの友は「なんでパンなの?」と質問を投げかけてきます。
子供と言うのは純粋過ぎます。正直、答えたくなかった。答えなかった。

何も言わない私に、友達は自分のお弁当のおかずをくれるわけです。
可哀想だと思われていた。
子供の直感というのは正直で、残酷だった。
でも、嬉しかった。

何十年も経った後、片親パンというワードをXで見かけた時、ものすごく胸が痛くなりました。
思い出しました。

この時代にも自分のような幼少期を過ごしている少年少女がいる。
私には何もできない、声をかけることもできない。自分が小さいから。

自分が有り余る資産を持っていれば、全部まとめて面倒を見てやると豪語できるのに、実際は自分の命を繋ぎ止めるのも精一杯。

せめて、間違った道に行かないでくれ、と願う。
願うことしかできない。



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