行き先が決まらない旅④(うつつ世編)
電車の窓は開いていないのに、
さらさらと風が吹き抜けた。
季節外れの春うららな日の光に、
わたしは気持ちよくうつらうつらしていた。
電車の小気味いい揺れは心地よく。
冷房とは違う、さっぱりとした適温に包まれて。
ふと隣の席に気配を感じて薄目を開けた。
衣服がふわっとわたしに触れたのだ。
それは薄いブルーの透けた生地。振袖の端で。
男性だと思った。
そして隣の席に、誰かが座った重みを感じて、
わたしは、本当の意味で目を開けた。
我に返ると、窓からの日差しは夏の初めそのものだった。
電車のごとごととした振動は先ほどの穏やかな空間と、
今は別のものだとわたしに知らせていた。
時計を見ると30分も経過していないが、
わたしの意識はさっきとは別物で非常にクリアだった。
そう、どこに行くべきか、ピンと定まったのである。
足立美術館に行こう。
思い出したのだ。
以前、今日みたいに逃避行の旅先の
京都のバーの店主に勧められたことを。
あの美術館は一回は行った方がいいと、言われたことを。
そう決めた瞬間に
わたしの手提げにつけていたバッチが、
はじけ飛んだ。
わたしはいそいそと、足元に落ちたそれを拾い上げ、
そして、それを胸元につける。
バッチは以前、八重垣神社の近くのカフェで、
たまたま購入したもの。
わたしの首もとにはブルーレースアゲートのネックレス。
そうそう。
この旅行記には、解説してくださる方が後ほど登場する。
何故、そのとき、そんなことが。
うつつ世にはうつつ世の事情があるのである。
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