私しか知らない
子どもの頃
兄と一緒にいたスキー場のゴンドラの中で
関西からの旅行客と思われるグループと一緒になり
降りたあとに「生の関西弁初めて聞いた」と二人で興奮気味に話した
夜景が見える小高い山にドライブがてら兄と行く
景色が開けるまでは暗くて何も見えなくて
恥ずかしかったが手をつないだ
お互いになにが悲しくて手をつなぐ相手が兄妹なのかと言い合った
兄の調子が悪い日に兄がリビングにいる
楽しみにしている連ドラを見に
自室からリビングに行くのが躊躇われる
単純に調子が悪い日の兄は怖い
ドラマが始まると兄が「はじまったぞ」と私を呼ぶ
なんとも居心地が悪かった
薬のせいで朦朧としながら布団の上に兄がいる
帰宅した私が枕元に行くと
「お前は結構かわいいから大丈夫だ」というようなことを言った
兄が自殺未遂を何回かして
そのたびに父が 母が なんとかしてきた
私は自室でドキドキとオロオロとして
何もできない
何もできない
親友に誕生日プレゼントをあげたいと兄が言い
テープとラジカセで二人で声を吹き込む
ラジオDJとアシスタントさながらにテンポ良いユーモア溢れる会話が続く
そのマスターテープがあるはずなのだが
聴きたいけど聴けない
私が実家を出て東京で暮らし始めた時
兄はまだ実家で 手紙をくれた
「寂しくなったら空を見ろ。同じ空を見ている。」
と書いてあった
寂しくなくても空を見る癖がついた
翌年兄も東京に出てきて
私のアパートから30分くらいの場所にアパートを借りて住んだ
お互い一人暮らしだ
一番近くにいたのは私
一人暮らしが楽しかった 私はとても楽しかった
兄は苦しんでいた
大学の履修登録がわからないと
私にはそんな事が分からないという事が分からなかった
分かりたくなかったのかもしれない
死ぬなんて思わなかった
その時は父が上京している時で
約束の時間に兄が現れなかった事を不審に思った父が
兄のアパートにかけつけた
私は自分のアパートに泊まりに来ていた友達と楽しく過ごしていた
深夜 病院に運ばれたと電話があっても
死ぬなんて思わなかった
一睡もできなかった
父にもどうにもできなかった
当時の私の日記の文字は
全然一定じゃなくて
ものすごく感情溢れる文字で
この頃から
書くことで自分を癒してきたのだなと思った
自死により兄を亡くしてもう20年以上経つ
時が癒してくれた部分もあれば
長い時によって深めた思いもある
これからも書き続けていこうと思う