レビューRadio現場vol.1『吉田の介護を始めたきっかけ』(6分くらいで読めます!)
「2020年10月31日、始まりましたよRadio現場!」
この一言が、よもやこんなに自分の人生に彩りを添えるとは想像もしていなかったのでありますよ(2022/12/15記)。
ハッピーハロウィン!
2019年、R現場(アールげんば)というイベントを開催した、吉田さんと森近さん。
介護現場で働く人のリアルな悩みとか辛い状況とかも、笑い飛ばしちゃおうというオフ会的な企画。
2019年に2回ほど開催されました。
1回目は餃子を包み、2回目は雑煮を炊いたという。そして来てしまったコロナ禍。
なかなかリアル開催が難しいなか、「ちょっと、ラジオでもやってみます?」のノリで手探りのまま始めたというTwitterライブ!
その名も「Radio現場!」
初回に合わせて、オープニング動画の作成に丸1日かけたという気合いの入れっぷり。そのオープニングにおける締めのシャウト、
「ラジオげんばッ!」
を誰もいない自宅で独り、スマホに向かって録音したという吉田さん。
笑い声から林家パー子系女子を自称する森近さんと、クールで囁きボイスな吉田さん。
自己紹介。吉田真一さん>社長だよ!訪問介護のでぃぐにてぃは新宿の高田馬場にある。でぃぐにてぃの特徴は「平均年齢50台の業界において、絶対的に若者が多い会社であること」。
訪問介護でそもそも新卒を募集している会社はなく、そしてウェブサイトをガッツリ作っているところもないそうで。
若手採用のコツは、フェスに(真面目に)出て歌ったりコントしたりしてみるとイイですよ!というアドバイスつき。
自己紹介。森近恵梨子さん>B型(ちなみに吉田さんはA型)。
平日はデイサービスの生活相談員として、上板橋にあるキーステーションで働かれている。キーステーションは、カフェとかも併設されている通所介護施設。
土日は介護に関わるライターや講師をされている。
お二人の互いの第一種接近遭遇的なものについて、
「そもそも介護の起こりは、聖徳太子の悲田院に始まり……」と鼻息荒く語る森近さんと、冷静に「面白い人だなぁ」とメタ視点を発動する吉田さん。そんな風であったとのこと。
そして、年齢をこの場で初公表した吉田さん、今まで非公表でした!
記念すべき第一回は、吉田さんのことを深掘り。
画面共有するとBGMが切れるというzoomの仕様に七転八倒のライブ配信。
オンラインでの講演スライドでプレゼンする吉田さん。
写真上手(かみて)のマイクを持っている人物が吉田さん。「経営者だと思ってみると腹立つから、バンドマンだと思ってくれ」と。
出身は岐阜県。青春時代には、モテるためにはどうしたらいいかを常々考えていたという。水泳だけでは飽き足らず、音楽活動にも手を伸ばしていった若かりし頃。
大学に入学して19歳の頃、バンド仲間と千葉の岩井海岸で一晩中飲んで騒いでいたという(時効)。
朝方に海に飛び込んだら、30cmの浅瀬で首を痛めて動けなくなってしまった。水の中で走馬灯が浮かび、いよいよダメかと思いかけたとき、仲間の中に一人だけいた全く飲めない友達が、事態のおかしさに気づいて救助してくれたという。
そこから2年間リハビリ病棟に入院された。
頚椎損傷の診断。
1995年頃に退院され、やることがないと感じつつ、ひとまず大学に復学。
乙武さんと同級生で学校も同じであったという吉田さん。大学へ行くと、早稲田の学び舎にはエレベータがなくてとても不便な時代。東京には空がないというくらいの何かだ!
校舎の4階に上がれない吉田さんであったが、たまたまボランティアサークルの方々とつながることができ、手伝ってもらいながらのキャンパスライフを送っていたという。ただし、バリアフリーがまだ全く認知もされていなかった時代であったため、疲労感は半端なかったのだそうです。
氷結ニューレモン美味しいよ!(脈絡なく、お気に入りフレーズをぶっこんでみる)
大学での講義が終わった後、大好きなお酒を飲みに行こうと思っても、車いすではほとんどのお店に入れない状態の平成初期。
人と違う疎外感に自意識が侵されて孤独になり、5年ほど大学と家の行き来のみとなってしまったという。
そんな吉田さんを支えてくれたのは、先の知り合いになったボランティアさんたちと、仲間のバンドマンであったのだそうです。
バンドマンは、おしなべて協調性がない(吉田さん談)ためバンドメンバー以外の友達がいないという。しょうがないから吉田さん宅に、バンドの皆が飲みにやってくるというエブリデイ。2〜3年家でそんな風に過ごしていたところメンバーから「外に出た方がいいよ」との提案が。
「バンドやろうか!?」と。
最初は「体幹の筋肉も弱くなっているから昔みたくうまく歌えないよ?」とやんわり断ろうとしたところ「いやいやいや、昔もそんなに歌上手くなかったよ!」とNGなのかOKなのか良く分からない返しが。それでも固辞していたら暫くして仲間が吉田さん宅にやってくるや否や、箱型のマッキントッシュをドンっと机の上に置き、
「これで音楽作れるから、曲をつくれ、それをやる!」と。
「譜面を読めなくてもできるからね」、と言い放ちMacを残して帰っていったという(そのMacはプレゼントではなく、親御さんと相談のうえ、吉田さんの預金を勝手に引き出して購入したとの後日談)。
そんなこんなで、2年くらいそのパソコンと格闘していた吉田さん。ついに曲が完成!
開始32分にその曲が流れる!拍手! バラードに爆笑する森近さん。
この曲を聞いて、バンドメンバーが吉田さんへ一言、
「もうライブハウス押さえたから!」
ライブハウスのステージはバリアだらけ。ステージにはえげつない段差あり。電動車いすが重すぎてステージに上がらないので、諦めて帰ろうかと思っていたら……
あたおかのメンバーがみんなで「せーの!ウェイ!」で持ち上げてしまったという。そしたらステージで電動車いすの車輪が折れて取れるという重大なハプニング!
本来なら出番は3番目だったけど、そのハプニングで板付き状態→そのまま最初に歌ってしまえ!になったという。
ライブをやってみたところ、緊張もしたけどとても楽しかったという吉田さん。ステージ終わりに尊敬している先輩から一言。
「シィンイチぃ!相変わらずお前の歌はヒドいなぁ! 音程もダメだし。でも今日の歌はなんか、こう、響くもんがあったぜ!これからも歌い続けろよな」
この体験が、社会に出るきっかけになったという。
バンド仲間との音楽活動が外に出る追い風となった。
大学を出て、25歳の頃から仕事を始められた吉田さん。会社入って何年かしたのちに結婚。障害者の恋愛話も是非聞いてみたいと思っております(2022年12月現在まで実現ならず状態)。
社会人生活でヘルパーをガッツリ入れるようになってから、生活が整わなさすぎて適応障害みたくなってしまったという。他人が24時間自宅にいるから、不眠状態に陥ってしまったとのこと。
当時、吉田さん宅に来ていた介護職のTさんが、調子悪い時も支えてくれ、無事乗り越えることができたという(そして結婚&パパになるに至る)。
Tさんは、なかなか気合の入った方で、バンドマンの吉田さんとソリが合ったとのこと。
しかし、Tさんがやっと管理職として落ち着きつつあるさなか、一生懸命育ててきた後輩のSくんが突如退職。その夜Sくんの代わりにTさんが来てくれたのに、沈痛な面持ち。様子を窺っていると、就寝支援時にポタポタポタ、と号泣の涙。
「なんかもう疲れちゃいました。一生懸命やっても上手くいかない。すいません、すいません」と絞り出すTさん。かける言葉が出てこない吉田さん。
Tさんは、午前3時くらいに帰っていったという。
介護している人が幸せそうじゃない。給料も高くないのにこんなハードな仕事……そんなことを考えていたら「介護の仕事をしてみよう!」と起業を思いつく。
思いを打ち明けてみたところ、奥さん激怒。半年かけて説得されたという。
そんなこんなで「世界一気持ちのいい介護」を理念とする でぃぐにてぃ。2020年現在、6年目に突入。
以上、駆け足で吉田さんの半生を追体験したのでした!
【振り返り】そうか、最初はオープニングとBGMもあったんですねぇ。
リスナーから大喜利回答やゲストリクエストの募集もしていたんですねぇ。
イカフライをくわえたまま画面上で固まる吉田さん。
最後の最後にPCが落ちたという伝説的な初回配信でありました!
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