【ゾウリムシ×介護】第4話「ゾウリムシとクロレラ〜理想の共生関係?」
この【ゾウリムシ×介護】ですが,私が参加しているコミュニティでお話しした内容をもとに書き起こしております。
実のところ、自分がお立ち台に立つ感じでお話しをさせてもらったのは、2021年4月15日が初めてでございまして,緊張して拙い主役ながらも、参加していただいた方には大変よくしていただいたことを、まるで昨日のことのように思い出すのでございます。
そんな連載も今回で4回目。今回は『共生』についてのお話し。
※前回のリンクはコチラ。
ミドリゾウリムシというゾウリムシがいます。普通のゾウリムシよりもやや小さめの85〜150μm。
いわゆる普通のゾウリムシ(カウダツム)は170〜290μm(ネット調べ)。
私は、大学の研究室では主にミドリゾウリムシを扱っておりましたので、こちらの方にひときわ愛着がございます。
小さくて丸っこくて黄緑色をした単細胞生物。見慣れると、カウダツムが大きすぎて、長すぎて、なんかちっとも愛せなかったことを思い出すのでございます(なんだ、今回の語り口は)。
さて、そのミドリゾウリムシの緑色。なんと体内にいるクロレラの緑なのです。
どうやらクロレラはゾウリムシの細胞口から取り込まれるのですけど、消化されずに生き残る。どのくらいいるかというと、ミドリゾウリムシ1匹(=1細胞)につき700個体くらい。(ネットで調べ)。
なぜ細胞内で消化されずにいられるのかはちょっと分かりません(勉強不足)。
面白いのは、このミドリゾウリムシ、暗闇で育てると、緑色でないミドリゾウリムシ、すなわちクロレラの存在しない個体ができあがります。
光のある環境にいる間、ゾウリムシはクロレラの栄養分を分けてもらっていると考えられます(クロレラは光合成で栄養を作る)。そのため、ミドリゾウリムシは、多少エサのない環境でも飢えずに活動ができます。
しかし、光のない環境に置くと、クロレラは増殖しないけど、ゾウリムシは分裂で増え、或いは、飢えたゾウリムシがクロレラを食べてしまう。そんなこんなで2週間〜1ヶ月くらいだったかな?そのくらい光の無い環境で飼育し続けると、クロレラフリーの(緑色じゃない)ミドリゾウリムシが爆誕します。
このクロレラを持たない個体を“ホワイト・セル”=白色細胞、と呼んでいました(なので通常の個体は“グリーン・セル”といいます)。
さて、このホワイト・セル。クロレラを体内から追い出されてさぞお困りかと思いきや、そうでもないんです。
ふつーに活動します。エサを食べ、活発に動きまわり、光に集まったり散らばったり、日に1〜2回分裂して増えたり、時には接合をしたり。
ミドリゾウリムシの実験材料として優秀な点は、①個体の識別が簡単 ②色の違う細胞を作るのが簡単(暗闇に入れて放置するだけ)③しかも、緑だろうが白だろうが、大きく変わらない といった点が挙げられるのです。
一方でクロレラサイドなんですが、こちらはこちらで、ゾウリムシの体内にいなくても大丈夫なんです。分離して培養した結果、普通にクロレラ単独で増殖したという論文が出ていたはず。
しかも、前述したゾウリムシのホワイトセルに、別個体のクロレラを取り込ませる(ぶっちゃけるとグリーンセルをつぶした溶液の中にホワイトを入れる)と、再度クロレラを取り込んで、グリーンに戻るんです。
めっちゃフレキシブル。
言ってみれば、完全な共依存ではない関係性。
ゾウリムシは、クロレラを体内に入れておくことで自宅にウーバーイーツが常駐しているようなもんでして、エサがなくても光さえあれば食っていける。
一方でゾウリムシには光に集まる“集光性”があるので、クロレラサイドからしてみたら、ウマウマと、より光のあるところへと行くことができる。言うたらウーバーのライドシェア乗りたい放題。
つまり、お互いに旨みがあるんです。
繰り返しになりますが、ミドリゾウリムシとクロレラの関係性は、
『なくてはならない』『お前なしではやっていけない』
というものではないのです。
例えば、チョウチンアンコウの雄は雌に比べたら極小サイズでありまして、雌に出会った瞬間、そのお腹に食いつきます。そして口が退化し、やがて臓器の一部のようになる。あんこう鍋になる個体って、実は全部雌。
こっちはもう一蓮托生の世界。
ミドリゾウリムシとクロレラって、共生関係というよりステークホルダーといった方が近いかな?とも思います。
この関係性をお話しさせていただいた時、誰かがこんなふうに言ったおぼえがあります。
『ケアする側とされる側の関係みたい』。
一方でこちらは、はっきり覚えているのですが、参加者で作家・編集者でもあるまなみさんが、
「自立って何?自立を目指す先がよく分かんない。介護からの卒業って言葉に違和感!」と話されていました。
クロレラとゾウリムシのような緩い関係性って、選択の幅があって良いのかもしれません。
自立自立と言うけれど、それは社会生活の中で描かれた幻であって、介護される側も実は自立しているのではないかと、そんなことまで思い至ったり。
そして、「“こうするのが普通ですよ”という常識が、いともたやすく人を追い詰める」と、まなみさんから名言をいただきました(私もこれからどんどんパクっていこうと思っています!)。
客観的な思考、メタ視点的な考え方で、「人間界での常識ではそうだけど、他の生物はこんなじゃん!」というひっくり返りってある。そんな思いを共有できました。
さらにまなみさんから、「そして、このゾウリムシの話は社会の常識に対抗する武器になりうるんじゃないかと思う!」と評価してもらいました。
戦争は嫌いだけど、理論武装は否定しないおもち。
さらに一歩進めて、チョウチンアンコウのような例もあるとおり、何がベストかってそれは分からない。
生存戦略がその個体の幸せと同義であるかも分からない。
そもそも幸せってなんだろう?
きっと、答えの出ないまま過ごしていくのでしょう。でもなぜか、きっとそんな哲学的な答えは、この世から離れる時に解明されるって、ちょっとだけ信じております。
話はさらにズレますが、今回の連載にあるような“独自視点”、或いは“オタク視点”(=私の場合は生物学的な代物)って、皆さんそれぞれが持っていて、実は介護という生活行為に、いくらでも応用が効くのではないでしょうか?何かの手助けになるようなヒントを授けてくれるのではないでしょうか?と思うのです。
さあ、みんなで視点をシェアしあって、集合知を生み出すのです!(←誰?)
という、感じで【ゾウリムシ×介護】の連載も、いよいよ終わりに近づいてきたのであります。
さて次回は、ゾウリムシから離れて“言葉の大切さ”についてお伝えしたいと思っています。第5話「学名の話ってめちゃ面白い」をご用意します。しばしのご猶予を。
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