レビューRadio現場 vol.38『介護はどこまで自由になれるか?』feat.石井英寿さん(9分くらいで読めます)
毎回ドタバタしながら〜ので始まりました!のRadio現場。
ひさしびりにリアルでお会いしたという、吉田さんと森近さんご両人。
今回は、介護業界で本当に会いたいと思っていた人と遂に会えると、期待値爆上げの吉田さん。
開始4分、ラガーマンのいでたちで登場したのは、宅老所 いしいさん家をされている、
石井英寿(ひでかず)さん!
つい5分まで、この格好でなかったという。まさかの早着替え!
秩父宮ラグビー場での日本代表戦を観戦し終わった後でのRadio現場!ありがとうございます!!
石井さんは、クラファンで介護とか福祉の場所を作られるとのことで、そのことを知って吉田さんは石井さんのファンになったのだそうです。
吉田さんの奥さんが、建築士を生業とされているのをこの場で初めて知った私。
長屋みたいな福祉をしたい、それって最高だな!と吉田さん。
縁側という言葉にいろいろな可能性を感じる私。
南洋の人に間違われる、と話される石井さん。吉田さんはロシア人によく間違われるらしい。
ここ最近、石井さんのもとへ、元精神科の先生が新規利用者としての相談に来られたそうで。
その場で、心に不安を抱えている方に「日本語大丈夫ですか?」と逆心配をされるほど、容姿がかっ飛んでいる石井さん。
明治維新とか大塩平八郎の乱とかに出てきそうな顔。昔の日本人はこんな感じだっただろうって。
自分は近藤勇っぽいなぁ、と動画を拝聴して思いました。
子どもには怖がられるけど、お年寄りと犬とか小鳥とかにはモテる石井さん。
目の前の困っている生きとし生けるもののこと全般がほっとけない石井さん。
私自身は寡聞にして知らないのですが、大変に困難なケースでもつながりを保とうと奮闘されている様子が、配信から伝わってまいります。
石井さんは「福祉の極みだ」と評する吉田さん。
13分頃からの、京成津田沼駅で血を流して寝ていた、もんもん入ったおじいちゃんと繋がったエピソードは必見&必聴!
不都合な真実の話は、聴く人を選ぶかもしれないですが、個人的にはリアルと繋がれた感がいっぱいで、とても考えさせられました。
真剣に向き合うドクターはじめ現場の人間が山ほどいて、厚生労働省も全部適当にやっているわけではないのだけれど、それでも不都合な真実が浮かび上がってくるというリアル。
ホームレスのおじいちゃん曰く「俺はのたれ死んでもいいんだよ。優しくされちゃっても恩を返せない。だから、いいんだよ。いいんだよ」
が心に沁みる。
吉田さん曰く「障害を背負った後いろいろしてもらったけど、そんなにされても、もう何にもできないよ」と19〜20歳の頃に悩み続けていたとか。それでも、今は(自分への言い訳として・と表現されていましたが)「自分の存在していることが、ちょっとでも嬉しいと思ってくれる人が、どうやら居るみたい」「居るだけでいいんだよ、と思ってくれる人が、親や友達を含めて5人くらいは居るだろうから、その人のために恩を返していこう」と。
石井さんの、傾聴力が垣間見える、20分辺りからのお話。
吉田さんが障害を背負ったエピソードを掛け値無しで引き出してしまうという。
これ、めちゃくちゃスゴいですよ!
傾聴する石井さんも、語り尽くす吉田さんも、間を取り持つ森近さんも。
御三方の魅力もさることながら、皆さんが作り出す場のいかに尊いことか。
吉田さんの、ICUで砂浜の幻覚を見た話とか、
隣で全身熱傷の人が絶叫していた話とか。
障害を得たときにどんな気持ちだったか?を聴ける人は、良いケアをする人、と吉田さん。反省の意をこめて配信の視聴を続ける(のめりこむ)私。
石井さんの「スゴい、聴きたいですねぇ」が心に沁みるし、頷き方などはずっとリピートして自分の中に取り込みたい!と思いました。
「人を正直にさせる人、石井さん」
なぜ、石井さんのような方が、福祉に携わるようになったのか?
おばあちゃん子だった石井さん。
そのおばあちゃんはチャキチャキの江戸っ子で、石井さんとは喧嘩もよくしたとのこと。
2021年に105歳で旅立たれたという。
「ばあちゃんは死んだ、というより生ききった」との言葉が印象的。
婿さん(石井さんのお父さん)と折り合いが悪く、精神的に不安定になってしまったおばあちゃん。
石井さんは新婚の頃に、不安定だったおばあちゃんを家に呼び寄せたのだとか。
いしいさんち のご利用者第一号がおばあちゃんだったという。
おばあちゃんが亡くなって、いしいさんちの第1章が終わった。これからセカンドシーズンが始まっていく……と石井さんは語られる。
新規事業の「52間の縁側」が第2章としての位置付けなのだという。
おばあちゃんは、戦争で周りの人を含め全てを失い、戦禍を生き抜いてきたからこそ、今、石井さんがここにいる。
つながりを失ったという現実が、心という形のない場で何らかの変化を醸成しながら、新たなつながりを作っていく。
44分頃に話されていた「101歳で骨折した下肢を一つ切断する」エピソード。痛みをとるための思いきった決断であったという。
100歳超えてオペを乗り切るご本人も、何があっても医師のせいにはしないと思いきった石井さんたちご家族も、執刀したお医者さんも、みんながスゴい話!!
話は、SNS等での誹謗中傷話へとシフトしていく。
「アカの他人が人の生き死ににナンダカンダ言う、みたいなことは、本当に浅はかなことだな」とは死にはぐった吉田さんの心からの実感。
「誰?おまえ?」って人に、身内や自分の生き死にを決められたくないよ。
意見をする・批判をするのは良い。「私はあなたと異なり、このように思っている」はあってもいいけど、最低限のマナーは守ろうよ、と吉田さんの熱量が上がる。
匿名の傘をたたんで、面と向かって話し合おう。
介護保険上のことをエビデンスに色々カキコム人には、矢面に上がった件については、ケアプランに記載している旨を伝えるとぐうの音も出ないよ、と高口光子さんも言っていたらしい(石井さん談)。
当事者意識が抜けているのではないか? 死を目の当たりにした肌感覚・感受性って大事である、と石井さん。
吉田さんが続ける。「死にかけた者・障害を得た者の感情って、絶対に他者には理解できないだろう、ということを前提に、スタートしている」「だけど、分かろうとしている人の気持ちは嬉しいんだ。それは受け取りたい」
見ず知らずのケアマネジャーとか支援員に、俺の人生を指図するな!、と語る石井さんに、色んな関係者がしゃしゃり出てくるたびに「誰?おまえ?」って思ってしまう、とつなぐ吉田さん。
今ここには、無数の善意という刃が溢れかえり、人を傷つけていると思うのです。
「べき論」は問題を起こさないための言い訳ではないか?と提起する石井さん。
糺すことをゴールにしてしまうと、福祉は ずれていってしまうとの思いがある。
「俺も間違っているし、あんたも間違っているよ、でもそれでいいじゃん。各々思った通りでいこうぜ。それが福祉なんじゃないか」と吉田さん。
「めんどくさい、と思われながら生きて……」との一言に心が動かされる。
“ぐいぐいくる”お節介な福祉ではなく、ただここに居てお互いがいい距離感で認めあってるのがいいかな、と石井さん。
ちょっと生きづらいのを、ちょっと支えれば、ちょっと生きやすくなるのかな、というのを、支えてあげられれば……というニュアンスで福祉を語るって素晴らしい。
裏に家族とかの思いがあるのなら、家族の話も聞いて、一緒にやっていこうみたいな動かし方。とても参考になります!
「人の気持ちは、どんなに近しくても“分かり合えない”」ことを前提としている石井さん。
“現場に足を運ばずに、自分の思いだけでストーリーを造って批判すること”は、ナラティブの暗黒面であると私は思っております。
「内的世界に入ろうと努力することが、福祉である」と吉田さん。
当事者の言葉って、どこかの専門家とかドクターとかよりも説得力がある。と石井さん。
それでも、ナラティブが他者の理解への一里塚であり、不自由で不器用で不完全だけど、そこしかないんだろう、と私は思った次第であります。
手当て【手で触れることで癒しを与える】。医療・看護・福祉の原点なのではないだろうか?
見舞う【見て、何かを振る舞う】。動けなくなっている人を嬉しくさせる、人間の共同体としての本質ではないだろうか?
「今まさに病んでいる人、今まさに亡くなろうとしている人に必要なのは、知っている人が傍に居てくれること」吉田さんの言葉が響く。
爆笑回になるかと思ったら、思いがけず感動回になってしまったと森近さん。まさに同じ思い。動画は良い意味でのサムネ詐欺。
改めて、リアルで色々な人とつながっていきたい思いを強くした私なのでした。
いしいさんち に行ってみたい!
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