岡田斗司夫という名の麻薬

久しぶりにnote書こうそうしよう

28歳頃から自分の生き方を見直す機会があってnoteを初めた。生き方を見直す中で自分の中で課題にしたのが「世の中の事をもっとよく知ろう。そしてよく考えよう」だった。

数年経って、考えれば考えるほど答えは遠く、真実と呼べるものとか、絶対的な正しさなんてこの世には無いのだと実感した。一見、正しく見えるモノは一個人の意見でしかないと知った。どんなに立派に見える人でもみんな同じ人間だった。

一時期、岡田斗司夫さんのYouTubeをよく見ていた。久しぶりに動画を見てみると非常に計算された見やすい動画になっている事を実感した。何より見ていて気持ちいい。

難解そうな人生相談や解釈が難しそうなコンテンツでも岡田さん独自の理論理屈である種の「解答」を出してくれるからだ。最近何かと話題のひろゆきさんも同じような気持ち良さをみんな感じているんだと思う。

「正解」があるという勘違い

世の中で起こる事に絶対的な正解はない。
色んな思想や事実が噛み合って事が起こっている訳で私達が見聞きできるのは起こっている事のほんの一部であるし、事実すら自分の偏見が入ったりして歪む可能性もある。

でも私達は事象に対して、大体この辺りの解釈が妥当であろうとして「正解」としている気がする

その妥当って何処から来たものなんだろう?
それって自分の思考、停止してない?
人の意見のコピペじゃね?

……

うん、そう。面倒臭い。

世の中に起こる事をいちいちこんな風に考えていると面倒臭いしそんな事をしていると答えなど出ない。

そこにある種の解釈や正解をもっともらしい理屈で動画にしてくれているのが岡田斗司夫さんだ。

でも私達は前段階として「世の中の起こる事に正解などない」という事を了解しておかないといけない。

人の思考で理屈で答えを出せた気になっているのは非常に危険だし癖になる。癖になると考えなくなる。気持ち良さは麻薬になり得る。

どんな解答や解釈でも「自分で考えた答え」を大切にするべきだと思う。そう言った自分で考える筋肉って普段から使っていないとすぐ劣化してしまう。

めちゃくちゃ端的な下らない感想でもいい

三島由紀夫も言ってたじゃん「真の知性は反知性的な所からくるのか高尚な所からくるのか私には分からない」って…

そう言えば、この三島由紀夫の言葉を聞いて思い出したのが、911の後、オサマ・ビンラディンが死んだとの報道を喜んで見ている人々、そんな大人達を見て子供達が

「でも…人を殺して喜んでいるのはおかしくない?」

とインタビューで答えていたという話…

そんなこんなで、これからも答えの出ない問題を今を生きてる皆と考えながら、考え続けながら生きていきたいと思います。

こんな世界の片隅のnoteを読んで下さってる方ありがとうございます。一緒に考え続けたいです。

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