思い出したこと
自分の内面をさらけ出すことについて色々思うこともあって、noteから遠ざかっていた。
気がついたらもう2月。早い。自分の口から出さないこと、自分だけが知ってること、自分のためだけに感情を記すこと(あるいは記さないこと)、これらを今後はもっと大事にしようと思っている。
とはいえ誰か聞いてくれ〜!!!と吐き出したい感情もある。最近観た映画「哀れなるものたち」が最高だったので、今回はそのことについて。
ダンスシーンが特に大好き。
自由に好きなように振る舞う主人公のベラ。ひとりでめちゃくちゃに踊るエマ・ストーンが超格好いい。
そして自由に振る舞う“自分の女”に“寛容に”接するかのように見えて、
「大丈夫。俺たちは規定通りペアダンスを踊っている。つがいとして上手くやっている」と周囲に(自分に?)言い聞かせるようにベラに合わせて必死に踊ろうとする男・ダンカン。
でもそれはただのポーズとしての寛容。俺の手元から離れて“自由”を謳歌する自分の女を見ると、必死に顔を真っ赤にして取り戻そうとする(なにから…?)。
「哀れなるものたち」鑑賞後、日本橋のゴンチャ(入ってみたかった)でタピオカ入りミルク烏龍茶をのみながら自分の過去の恋人たちを思い出した。
ああそうか。
彼らはもしかしたら、「”女性”の役割を私に押し付けるな、そんな役割意識はクソなので捨ててくれ。」と周囲を睨む私を、そんな私だから、「それでも結局は俺の隣におさまってくれる、俺なら”つがい”として上手くやっていける」という恍惚感のようなものを得ようとしていたのかもしれない。意識してたかはわからないが。私自身の地味で冴えない容姿が「守ってあげたい」系の男性の目に好ましくうつってしまうのか〜〜と、ミスマッチングについて無理やり納得しようとしていたけど、そうじゃなかったのかもしれないな、と憧れのタピオカを啜りながら考えた。そして当時の自分が侮辱されていたようにも思えて、少し傷付いたかもしれない。
私は”非婚派のフェミニスト”(フェミニズムは一人一派)を自認していたし、交際していた男の人たちには以下のようなことを伝えていた。私はパートナー関係が続くことを望んではいるけど結婚は望んでいない、と。
しかし彼らは私に「将来は専業主婦になってほしい」と言う。それを言うなら、それを言うなら、付き合う女は私じゃないほうがいいよ……と思いながらもずるずる付き合い、結局窮屈になって別れた。誰かの“彼女”になるのは、お互いのためにもやめようと思った(その後夫に出会い、あっさり結婚したわけですが…)。
私はダンカンに、かつて恋人だったあの人やあの人の姿を投影していた。
そして凄玉美人エマ・ストーン演じるベラに、恐れ多くも私は、わかる…わかる…わかる……と共感しきりだった。「私と結婚したいの、それとも私を殺したいの?」とダンカンを問い詰めるシーン、心当たりがありすぎる。
絶賛PMS期で気持ちが若干不安定になっていたこともあってか、「女として生きなければいけないことへの怒り…苦しさ……」と鑑賞後は少しナーバスな気分になってしまった。
ああでもファッションもセットもとても美しかったなぁ。そしてエマ・ストーンのあの演技って一体なんなんだ。凄すぎる。船で一緒になったマーサも素敵だったな。音楽のビートに合わせて熱烈ジャンプ!のシーンは笑いそうになった。フラットな気分の時にもう一度観に行こう。パンフレットも欲しい。
映画に心を刺激されて久々に絵を描きたくなり、このタイトル画像みたいな落書きをたくさん描いてる。「あのシーンのあの感じを出すには!どうしたら!」と下手なりに試行錯誤する時間がすごく楽しくて、同じ絵を何枚も何枚も描いたりして。こういうの久しぶりで、なんか嬉しいよ〜〜〜。
仕事を辞めてもう少しで1年。絵を描くことが楽しいと、ああいよいよわたし元気になってきたのかも、と感じる。この感覚を大事にしよう。ここを譲らずに、消さずに、守りながら生活していけたらいいんだけどな。