ここ最近考えていたこと
最近出産をした友人に、数ヶ月ぶりに会ってきた。お腹が大きいときから何度か会っていたためか赤ちゃんは会う前から可愛くて、会ったらやっぱり超可愛かった。小さくてすべすべでつるつるで、お母さんである友人のことを常に目で追っていた。
自分ひとりのことを気にして生きるには愛情みたいなものが有り余っており(もちろん夫のことは愛しているけれど自分とは違う人間だし、でもそれを言ったら自分が産んだ子どもだって自分とは別の人間なんですよね……)、でも子どもを産むには愛情みたいなものが自分には大きく欠落している気がするんだよね、と友人に話を聞いてもらいながら自分の頭のなかを言語化して少しすっきりもした。
余った愛情を無理やり自分に向け続けると、自分の内面を見つめようとし過ぎて、「生きる意味とは……」みたいな物悲しい気持ちになってしまう(もちろん抑うつの発生は別にありそのための療養生活、と認識している)(でもこの自己認識もたまには自分で疑ったほうが良いのだろうな)。
今思えば、無事に出産を終えたばかりの友人にするような話じゃなかったかもしれない。でも、友人に会っていないこの数ヶ月いちばん考えていたトピックだったので、どうしても気持ちが漏れ出てしまった。
友人は優しく相槌を打ちながらゆっくり話を聞いてくれて、2人でああだこうだ話しながら「誰にもなにもわからないのだよね」という言葉を何度も口にした。そしてなにもわからないけど、わかっているのは私たちは一度しかこの人生を生きられないということ。
(1回きりのこの人生で私はあなたと会えてよかったよ、なんて言ったらきっと友人は白目を向いて無言になってしまうのだろうな。)
ぴかぴかの生まれたての赤ちゃんに会って、そして偉業を成し遂げた友人の姿をみて、この家族が幸せでありますように、と心から願う。
有り余る愛情のようなものは、少しずつ、迷惑にならない範囲で(ここがなにより大事……)、今周りにいてくれる大好きな人たちに惜しみなく向けていきたい。
なにが起こるのかなにが正解なのか、誰にもなにもわからないけど、“自分がどうありたいか”はきっとある程度自分で決めることができるはず。
とりあえず私は、大好きな人たちが幸せでありますように、というこの気持ちを「今!」というときにサッと行動に変換できる自分でいたいな……。