心の中に絵の具が落ちたら 〜俺と一ノ瀬志希とのあれやこれ〜 #俺からの虹色レター
#俺からの虹色レター という、特定のアイドルに対して思ってること、言いたいことを肉声で喋った音源を投稿して流すユーザーのニコ生企画の第2回が先日行われました(まだ最終日残ってるけど)
送る内容は感謝だったりノロケだったり、はたまた罪悪感だったり、自分の世界観バリバリだったりと、数年関わってる以上どこかで発生する秘めたる悩みやエネルギーが大放出、そして共有し肯定したり受け入れたりするという数段階特殊かつ有意義な場でした
まあ主催が俺なんですが、、(照れ)
というわけで、主催だけど俺かて担当アイドルに言いたいことあるわい、ということで自分でも音源を投稿していました
その相手は、今となっては担当の1人でもある一ノ瀬志希。
今となっては久川颯担当としてやっていますが、色んな娘が担当になったりメインが変わったりとありましたが、その裏にあってなかなか話としてまとめられていなかった志希の話を、台本プラス3分に収まらなかった部分を加筆修正して載せます
こういうのを改めて載せるの、解釈として出すのも実際けっこう怖いし、俺の価値観のプラグインがないとなかなかなんのこっちゃという感じではありますが、まあ知り合い中心に俺はこんなことを考えていたよというのを見せる記録として置こうかなと思いますので暖かい目で見てもらえるとうれしいです、、
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一ノ瀬志希へ
8年のシンデレラガールズ人生の中で誰のことを考えた時間が一番長いかと聞かれたら、自分はきっと一ノ瀬志希だ、と答えるだろう
モバマスで追加され、プロフィールの趣味の欄に失踪と書かれた彼女を見て思った第一印象は、確かに失踪しそう、でした
それから月日が経ち、ふと思い出しました
そういえば一ノ瀬志希って失踪してないよな
それは彼女がもうCDデビューも果たし、LIPPSとしても順風満帆の活躍をしているころでした
そんな引っかかりがわずかに大きくなったころに、秘密のトワレのストーリーコミュが追加されました
実は、見る前は少しこわかった。そこに失踪する気持ちを摘み取られた1人の女の子がいたらどうしようって。
結果から言うと、ある意味でその心配は杞憂でした。
それと同時に、志希への心配と思い入れは強くなることになります。
というのも、コミュの中で行われていたのは、形ばかりの失踪、取ってつけたような定義付けでした。
仮に失踪に定義があるなら、それはされた側が安心できないことにある、と思っています。
だから連絡がつく人間が同居したり、いつ戻ってくるかわかってたり、何より、失踪された側のプロデューサーがあんなに理解してちゃ、こんなの、こんなのただの散歩じゃないですか
僕はひとつ確信しました
ここまでいっそ明らかにスキがあるんだったら、志希自体も自分が失踪できないってことに、自分が出ることのできない世界に迷い込んだんじゃないかってことに気が付いているのではないか。そう思いました
だってそこらの一般人ですら連絡が取れなかったりするのなんて簡単に起こることなのに、うまくいくアイドル生活だからこそ唐突にいなくなったりしてもいいはずなのに
だからこそ、失踪しない志希に違和感を感じました
コミュの内容で皮肉にも自分の考えが肯定されているように感じ、わかる人にだけ伝わる志希からのSOSでもあるのではないか、志希のキャラ性と世界観も相まって自分の中で物語がどんどん肉付けされていきました
ただ、それと同時に、この考えは多くの人に理解されるものではないだろう、という気持ちも大きくなっていました
だから、道行く志希Pが何も思わず楽しそうにしているのがすごく悔しいと思ったこともありました
というよりは、自分の世界観を言葉に、形にできないことが歯がゆかった
当然、それから月日が経っても志希がいなくなることはありませんでした
できないとはいえ失踪はあくまで趣味で、命題ではなかったのです
だけど、自分の話を聞いてくれる人や理解してくれる人が現れ始めました
それだけじゃなくて、僕と志希の物語として観測してくれる人がいたことに衝撃を受けました
だって、失踪してほしいという気持ちと担当にしたい気持ちは本来逆にあるもので、そういう目線で考えることがなかったからです
自分と志希との物語は、きっとそうそうあるものではなくて、こんなにいなくなることができないんだったら、こんなに思い悩んだんなら、俺の世界観に俺が思う一ノ瀬志希がいるんだったら、自分の世界の中だけでも手を繋いでもいいんじゃないか、そう思いました
繋いだ手から感じたのは自分の気持ちでした
いなくなったらさみしい、って思っちゃいけないと思ってた
ずっと1人で悩んでると思ってた
どこかで感じ取っていてくれた志希と、自分の世界が結びついたようでした
それからは穏やかな日々を送っています
いなくなれなった志希は、バベルで消えゆく自分たちを、オウムアムアでは閉じられた世界から抜け出す話すらも実現してみせています
あの時悩んだことも、あの日手を繋いだことも間違ってなかったとそう思っています