新月と観覧車と赤いピンキーリング3〜紆余曲折
悪阻(つわり)
私は占いの仕事をしていた。ただ、11月と12月は自ら投薬したり、悪阻で気分悪くなる事が多々あった。
職場前に着いて気分が悪くなり過ぎて立ち止まったり、お客様を前に、急に黙ってしまわないといけない状況になったりした。
お師匠さんのお店に出店させていただいた時だ。トイレで投薬していたら、お客様に扉を叩かれて、休み中のお師匠さんにまで、私が居ない旨の連絡が行ってしまったりもした。ご迷惑をかけてしまったのだ。
ただこれまでの妊娠では、安静のため自宅に引きこもったりゲーム三昧をして、3度とも流産だったので、主人が考えてくれたのだ。
仕事に行ったり、外で人と会うようにしてみてはどうかと。
だから私は多少しんどくてもそのように頑張ったのだ。
今度こそ絶対におキョウちゃんを離さないと誓って。
2021年の大晦日と2022年のお正月の話
お師匠さんの親戚が経営している軽食屋さんで大晦日とお正月に占いをさせていただける事になった。近くには有名な神社があり、初詣客であふれる。
私はこの時完全に「鬼○の刃」の虜になり、煉○杏寿郎さんのような息子を持つ事を寝ても覚めても考えていた。
ただ不妊治療は2022年いっぱいでやめようという事に夫婦で話し合って決めた。たった1年で運命が決まるのか。
ただもうここまで来たら、最後に出た結果を、自分に合った道だと受け入れるだけだと思った。だがやはりダメだった場合、ショックだったり受け入れるのに時間がかかる気がした。それに残りの人生を何となくハリがなくダラダラと過ごす気がした。それもなぁ。何だか違和感があった。
ちなみに子どもの居ない人生を受け入れて、遊ぶ時間を取りやすい人生、それが自分に合った道だと思う練習をしていたが、体重がどんどん増えていったのだ。
私の人生、諦めると体重が増え、見た目まで変わってしまうように出来ているようで、非常に難儀だ。
ただこれまでの経緯を考えたらあまり期待はしない方が良いだろう。なのに何?この高揚感。ワクワクと妄想が止まらないのだ。
その軽食屋さんに居る時、「鬼○の刃」の歌である「残○散歌」が流れたのだ。私はスーパーハイテンションになり、気分はさらに高揚したのだ。
これまで何度もダメで、病院でも副院長クラスの先生の部屋に呼ばれていた。現実はかなり厳しいはずなのに。
マイナス思考が消えて、大冒険が始まるイメージがした。
若い頃も人間関係やパートナー探しなど、絶望的な状況で現実はニコリとも微笑んでくれなかった時があった。そんな時、根拠は全く無いが何故か凄く良い事が起こる気がしたり上手くいっている妄想が止まらず、どちらも一発逆転の奇跡が起きたのだ。まるでその頃のようだ。
やがて参道は人、人、人
簡単には通れないほどになっているようだった。
いろいろあるだろうけど希望を失わない若者達の黄色い声が聞こえる。
軽食屋さんにも人が入り、煉○杏寿郎さんくらいの年齢の若い男の子が占いを受けてくれたり。
時計は0時を回り2022年が明け、夜通し占いをした。
そして明け方私は家に帰るために店を後にした。
ダメ元で神社に寄ってみたら奇跡的に誰も居なかった。
何だかこの瞬間を神様からプレゼントされた気がし、私は初詣を済ませた。
「煉○杏寿郎さんのような息子をこの1年いっぱいで授かれるように出来ることをします。頑張りますのでお願い致します。」
と。
空には明け星が出ていた。「鬼○の刃」の「明け○」の歌が頭の中に響いた。
そこから不妊治療をしながらだんだんと、趣味の音楽や、仕事の占いで叶えたかった願いがどんどん叶い、明るい夏を迎え…冒頭のような奇跡が起こった。
あれ?
時は12月半ばに差し掛かっていた。占いのお師匠さんの授業を受け、帰る時に赤いピンキーリングが無い事に気がついたのだ。
「悪い事が起きなければ良いのですが…。」
と私。
「確かに嫌だね。でもそんなマイナス思考になっていてはダメよ。」
とお師匠さん。
何処かに落として来たのか?
お師匠さんも注意して見ておくと言って下さった。
手袋をはめた時に何と赤いピンキーリングが出て来てくれたのだ。
良かった。きっと大丈夫…だよね?
ところが後に述べる、語彙力崩壊になるアクシデントである出血が起きた。
このピンキーリングは2023年の1月後半にも職場で無い事に気がついたのだ。
どこで落としたのかはわからないし、諦めていたらなんとカバンに入っていたのだ。奇跡的に見つかったのだ。
この時はお陰様で何ともなかった。
出血
年末も迫った12月17日、22時過ぎにお風呂に入ろうとしたらそれに気がついたのだ。
茶色い出血があったのだ。それもじわじわと続いていた。
もう一般的にほぼ安心出来る妊娠12週になるにも関わらず。
何で?
何で私ばっかりこうなるん?
私はこの時1人で自宅に居たし、心細かった。
主人が帰宅し、状況を話すと、
「流産か?嫌やなあ。でもなるようにしかならんぞ。」
と。
主人は冷静だった。
翌朝仕事を休んで病院へ。主人が車を出し、付き添ってくれた。
私はもしもの悪い方にしか考えられず朝から情緒不安定で気分が悪くなり、病院の受付に辿り着くまでにえづいた。見かねた病院の職員さんが車椅子を用意してくれようとしたが、主人が断っていた。
何とかゆっくり歩いてたどり着き、すぐに診察に呼ばれた。
おキョウちゃん…生きていて…。
私は祈った。
年配の先生で、あれこれ言われたが結論としてはおキョウちゃんは元気で、血は止まっているという話だった。
性能の良いエコーでも診てもらい、何とも無いようだった。
ただ万が一の遺伝子異常の可能性もあるので、また出血して続くなら検査を受けようと思った。
ところが茶色の出血は次の日を最後に止まってくれたのだ。
再度担当の先生の診察を受けたら、ちゃんと出血は止まっていて、子宮が大きくなる時に出血する事があり、それが古くなって出て来たのだろうと教えてもらえたのだ。
一件落着だが、年始まで2週間くらい念のために安静にするように、出血時に診察していただいた先生に言われたのでその間仕事のお休みをいただいた。
悪阻はまだ少し残っていた。