【人生論】底辺ブラック社員から不労社員になるまで
其の壱:”底辺高校卒業から就職へ”
私は、今年5月に24歳になります。社会人6年生となります。本業では、事務系エンジニアとして在中しており、在宅時は家で寝ているだけで仕事が終わり、空いた時間は趣味に時間を費やしています。
丁度5年前の私は何をしていたかというと、高校をすぐ卒業して社会の荒波に突っ込んでいきました。
当初入っていた高校は、とんでもなく不良高校で、全教科合計100点取れば入れる学校で、授業中、友人としょっちゅうモンスト・ドッカンバトルをやっていたり全く勉強していませんでした。
当時は特に夢もなく、ただのんびりと暮らせればいいやと、だれでも入れる水産加工工場に新卒入社しました。
就職する前は転々とアルバイトをしていましたが、どこも続かず、いつもバイト先でトラブルメーカー。俗に言う社会のゴミでした。
そして、新卒入社した工場とはというと、匂いがきつい、立ち仕事、力仕事、人間関係最悪と【きつい・汚い・危険】の3拍子、いわゆる3K職場といわれるブラック企業でございました。
同じライン作業で働いていたペルー人に包丁をぶん投げられるほど、とてつもなくやばい職場でした。
こんな所、一生仕事するぐらいなら、生活保護もらって暮らしたほうがまだマシだ…と沸々と思うようになり、壮絶な職場環境を体験し、身も心も疲弊した私は次年の夏に退職を決意しました。19歳の夏休みが始まります。
其の弐:”ニート期間”
夏休みといいましたが、退職してからは半年ほど ニート生活を送っていました。
家庭環境は元々母子家庭だったので、生計は失業手当と母の収入で立てながら生活していました。今思うとこの時の私は、ク〇みたいな人生を送っていました。
就職して、理想の家庭を築くビジョンも浮かばず、今あるお金でなんとかなるでしょという安直な気持ち、しかも大好きなソシャゲにも課金していたので、勿体無いにもほどが無いぐらいのダメ人間以下でした。
だけど失業保険がまもなく切れるとき、やっぱお金が入らないのはまずいなぁと、さすがにバカな自分でも焦りが出てくるようになりました。そろそろ働かないとな…と嫌々ではありましたが、再び社会の荒波に一歩踏み入れる"きっかけ"となりました。
其の参:”ベンチャー企業に就職”
そして2019年、やっと就職先が見つかりました。
業種はデスクワークが主流で、少々取引先と話したりする、いわゆる業務代行会社みたいなところです。なぜ入社できたかというと、嘘ついてPC操作に自信があります!と申しつけた結果、入り込むことができたのです(笑)まあ、直近に会社設立して、まだ人手が足りないという事もあったので…
しかし、ベンチャー企業に必要なのは、何よりも個人のスキルが重視され、何より痛かったのが、PC操作に自信があると嘘ついた事が痛手で、凡ミスの連続をかまし、上司には毎日怒られ、顛末書を何度も書かされる始末…
そして業務作業量が半端なく、毎日4、5時間の残業で最高で月80時間も残業していました(笑)
ある日、上司から突然「ちょっと手が空いたらこっち来て」と声をかけられました。いきなりだったので訳も分からないまま、付いて行きました。
そして現場に到着して座った直後、単刀直入に
「あなた、やる気あるの?」
とド直球に言われてしまいました。
応接室の中は自分1人と相手側上司2人、この時感じた空気感は今でも覚えています。
その後も2時間以上の説教タイムが始まり、聞いている中で私は例えようもない悔しさと、絶望感に涙を流してしまいました。
社会ってこんなに残酷なものかと…自分はこの社会の中に生きる価値はないんだと怒られながらも、頭の中で感じるようになりました。
その後、かなり精神をやられてしまい、幸い鬱まではいかなかったのですが、会社をずる休みするようになりました。当然の如く、
と、ほぼ毎日がこの繰り返しで、自分が自分を嫌になっていく一方で、生きた心地がある日なんて一度もありませんでした。
其の四:”師匠との出会い”
お金もない、仕事もない、人徳もない、こんな人間生きる価値もないだろうと、〇ぬことしか考えないまま外をふら付いていたある日、一人の師匠に出会いました。師匠の正体とは元々高校にいた先輩で、高校の時から仲が良かったので、色々身近に起きた出来事を話しました。
彼はいわゆるエンジニアというIT関連の仕事をやっており、同時に副業もこなしている凄腕プログラマーです。自分も同じデスクワーカーだったので、都合のいいことに波長が合うなと思い、仕事の状況と共にすべて打ち明けました。
先輩は「最初はお金はいらないから、俺が講師になって教えてあげようか?1か月もあれば、今の状況打開できるよ。」と相談に乗ってくれました。今の状況を打開できるという言葉に半信半疑で聞いていましたが、今の自分には何も残っていないし、ダメ元でやってみるかと早速先輩の家に会社ノートPCを持っていきました。
なぜ会社PCを持参しているかというと、当時は2020年、ちょうどコロナ渦が蔓延していた時期なので、会社でもテレワークが導入されていました。あまりコンプライアンス的に良くないですが、当時はそういう気持ちも考える余裕が無かったので、先輩宅へ直行しました。
早速先輩宅で、一連の業務スケジュールを先輩に見せて頂きましたが、
これ、30分もあればすぐ終わるよ
え?、30分?と聞いたら、「エクセルの業務はとあるツールを開発すれば、すぐ終わるよ。あと開発するのが30分ね。処理自体は5分程度で終わると思うよ。」と、コイツまじかよ(笑)と冗談まじりで聞いていました。
仕事の業務すら理解してないのに、見ただけでツールというものを開発する。手打ちでの設定➡計算処理➡請求書発行と一連のながれを高速タイピングしても、6時間はかかるのにそんなすぐ終わるのかよ!と8割ぐらい無理でしょうと考えていたのも束の間、
言葉通り、30分かからずにツールを作成してしまいました。実際に作成したツールを実行してみたところ、前述の一連の作業が、高速かつ自動で処理していき、本当に5分ぐらいで終了してしまいました。彼は有言実行したのです。
あまりの出来事に、先輩???どうやったのですが???と挙動不審になりながら聞いてみたら、ExcelVBAという一種のプログラミングを使ってツールを作成したと答えました。
VBAは確かにネットとかで聞いたことがあり、面倒くさい業務を楽にしてくれるツールということで、興味はあったのですが「こんなん頭のいい奴にしかできるだろ」と速攻で断念しました。しかも家にPCがないので、まず環境から無理でした。
先輩は「確かにプログラミングって難しそうとか基本がどうたらとかいうけど、実際のところ言うほどそこまでじゃないよ。パソコンで文字が打てるレベルなら独学でもできるけど、実際ワンツーマンで教えてもらった方が早く覚えられるからやってみる?」と挑戦権を受理。しかも1ヶ月も。
当時はプログラミングって理系で大卒の人じゃないとできない領域なのに、底辺高卒が1か月で覚えられるのか?と不安を感じながらも、恐る恐る挑戦することにしました。
其の五:”修行”
まずはVBAから教えられることになりました。最初に自分がやった学習の流れとしては、
こんな感じで進めていました。ワンツーマンでやっていたので、バカな自分でも、丁寧に詳しく教えてくれました。
本来、プログラミングは書籍を購入したり、スクールに通ったりして覚えていくのですが、スキルが身についたとしても、実践に生かせないケースが多いよ笑、と先輩は言ったので、そうだなと思いました。
なぜなら私みたいな怠惰な人間は、スクールを通うとなると絶対集中できないし、高校時代みたいにスマホに夢中で終わるので、お金の無駄になると思ったからです。
一応、書籍は3冊ほど買いましたが、文字だらけで、集中力のない自分は見てるだけで眠くなってしまうので、ほぼ活用していません(笑)
次の学習ロードマップは
簡単にいうと、前のロードマップで作成した先輩のコードをパクッて、自分で作成してみるということです。
先輩は「ツールはコードをパクってこそ真価を発揮する」と格言?みたいな事を言っていました。
通常は人が作った作品を模倣することは許されない行為なのですが、プログラミングに関してはほぼ、そんな事はありません。
しかし「完全にパクるのでは無くて、少しオリジナル性を取り入れていくという気持ちも忘れず」と指摘を受けたので、最初はどんどんパクって、少しずつオリジナル性を高めて作っていけばいいのです。
そうしていくうちに、教科書を読んでもほとんど覚えられなかった自分が飛躍的にインプットできるようになりました。
最後のロードマップは
こうしてやっていくにつれて、難しいゲームを攻略しているかの様な感覚になっていき、次第にはコードを書いていくのが楽しくなっていました。
コードをカタカタと打ち込むたびに、このくそったれ業務とおさらばできるんだと思いながらやっていたので(笑)
そして、教えてもらって1ヶ月半後、独自で1からツール作成ができるようになりました。
完成したツールの内容は、Excelデータを、クライアントへメールを送信して報告するツールで、毎日送らなければならない作業が、ボタンを押すだけで自動的にメールを作成し、送付してくれるようになりました。
この時、めちゃくちゃ感動しましたね。自分一人でツールを作成して(ほぼ先輩が、独自でコードを入力し、デバッグも対処できるようになり、そしてマクロ実行後、通常2時間もかかっていた作業が10秒で、しかも自動で働いてくれるツールを作ったから。
希望に満ち溢れていたのと同時に、自信もつきました。
其の六:”起死回生”
そして、いよいよ職場へ復職する時がきました。気持ちは前向きでいっぱいでした。
全てを失った自分を先輩が背中を押してくれたこと。地頭が悪かった自分でもツール開発ができるようになった事。短期間ではあったけど、とても有意義な時間を過ごしてきました。
まず負荷の高い業務を片っ端からツールで改善し、嫌いな上司がそれが表に出たのか、監査法人や社長など、数々の上長から評価を頂き、復職してからわずか半年で課内最高評価を頂きました。
そして、一年後、、、
係長に任命しました!!!
その後も業務効率化に貢献し、事務作業が完全に自動化にすることが成功し
そして、会社の業績にも貢献したので、ベンチャーだったので賞与がなかったのですが、係長に就任した直後に特別賞与で、、、
31万円いただきました!
とはいえ大企業など比べたら、かなり低いほうですが、会社設立して5年ということで成長途中であり、賞与もなかったので、それを考えると結構な額だと思います。
プログラミング、恐るべしです。
其の七:ツールを学んでから…
貯金に困らないほど、安定した会社員の収入を得られ、役職得られた主ですが、一つ心の中でモヤモヤがありました。
もともと自分は社会の労働に疲弊し、働くことの意識がほぼ0に等しい人間なので、どうしたら労働せずにお金を得られるか考えていました。
不動産投資などの不労所得ではなくて、いかに本業をノーリスクでストレスなく働けるか。
そこで思いついたのが、業務をボタン1つで解決できるなら、その押す作業も自動化にすれば、実質働かなくてもいいんじゃね?
こういう悪魔的発想が、本業を不労化してしまうロジックを生み出してしまったのです。
使用していたPC環境がWindowsだったので、タスクスケジューラという機能を利用して、登録したマクロを毎日定期実行できるようにしてみたら、見事にボタンを押さなくても、ツール実行できるようになりました。
会社の同僚や上司にばれないように、作ったツールをどんどん定期実行化させて、完全な社内ニートとして君臨することになりました。
2021年後半より週2回程度の在宅勤務と掛け合わせていたので、在宅勤務の場合は出社→仕事→退社までの過程を全て自動化して、一日中サボっていても、収入は減らず、業務に支障が出た事は一度もありません(笑)
在宅はやる事やっていれば、いくらでもサボれますからね
其の八:現在
本業を完全自動化にして、空いた時間はプログラミング言語の勉強や、副業に時間を使ったりしています。
副業はTwitterアフィリや物販を中心にやっていますが、こやつらも自動化にできることがかなり強いです。
例えば、副業の一つでもある「物販」がありますよね。毎日オークションサイトで仕入れたい商品を見つける→AmazonやEBAYで出品する→包装する と一連の作業を毎回やるのはキツイと思います。
ましてや本業と合わせて、スキマ時間にやったとしても、時間に余裕が無い為、なかなか副業に注力できないし、利益も上がらない一方が多いと思います。
でも、その一連の作業をツールで自動化にしたら?
ここの流れは手動でやる必要がなくなります。包装と発送は必要ですが、こちらも貯金の余裕があれば、発送代行業者に任せれば、こちらと併せると、
勝手に仕入れと出品をしてくれるので、物販の作業が完全に自動化し、お金と共に時間にも余裕が出てくるようになります。
今の自分が形成できたのは、人との繋がりがあったからこそ、自分を飛躍的に成長できたきっかけができた事だと私は思います。
プログラミングに出会ったきっかけも、「先輩」と出会えたからこその
きっかけですし、本業を不労化したのも、今自分が置かれている状況からサーチしたきっかけだと思います。
今の現状に押しつぶされそうになったら、頼れる友人か家族に相談してみてください。きっときっかけが見つかると思います。