ミッドサマーの感想と妄想
これはミッドサマーを見に行って1000%ガンギマリしてセラピー!セラピー!ホルガで生まれてさすがに焼き殺されるのはやだからうまいこと生贄を潜り抜けてアッテストゥパンで死にたい!とか言ってる人が書いている感想です。このためにnoteのアカウント取ったよ。
たぶんこの映画が受け付けなかった人には受け入れがたいこと、ツッコミどころ満載なことも言ってると思う。あと自分の思想もバンバン入れる。無知蒙昧ゆえ許してほしい。間違ってたら教えてください。
・ホルガについての妄想
ホルガの人々の精神構造、あの村での考え方について考えたこと。
まず第一に、論理的思考がない。村人に自我がなく、全体的に「こうするものだから、こう」というなんとなくの認識を共有して動いている。たぶん戦前の日本とかこうだったんだろう。というか西洋的な人権意識が浸透する以前の社会ってこんな感じなのでは? と思う。
法律に該当するものはたぶん「信仰」として存在するんだろうけれど、その「信仰」が文字通り長老会議と神権政治に基づいているため論理もアホもねえ。熱湯に手をつけて爛れなかったら無罪とかやってそう。怖。
第二に、共感しかない。アッテストゥパン失敗して足が折れ曲がった老爺を見た瞬間、村人が「ああー」って嘆くじゃないですか。あれは儀式が失敗したー、死にきれないなんて精霊への侮辱だあー! の「あー」かと思ったんですよ。のちのダニーがセックス子づくり儀式を見て叫ぶのに女の子たちが共感するシーンで、あっあれ老爺の痛みに共感していたんか…? と気づいてまた怖いわ。
第三に、善悪の意識が独特すぎる。サイモンが一番苦痛を与えられた時間が長かったのは、アッテストゥパンを侮辱したから(かなりホルガとその思想を悪しざまに罵っている)。コニーが叫び声一つですむくらいの殺され方で済んだ(と信じたい)のは、怖すぎて彼に同調することもできなかったから。泣いてたしね。声も出なかったんだと思う。
マークもジョシュもコミューンの神聖なものを侮辱した。儀式と同じくらい大事なものを。
ホルガにとっては「自分たちの大事なものを大事にしない=自分たちと同じ思考回路を持たない=悪=殺してもよい」んだと思う。この「殺してもよい=悪のルーンに相当するくらいの悪」なのか「悪すぎるからこいつ悪の精霊の化身やろ!=生贄!」なのかは分からん。というかここはたぶん本人たちも分からないと思う…
上記から導かれる村人の思考回路は、
・感情しか持たず
・知恵や論理を受け入れる器を持たず
・ある物事が起こってもその因果関係を探る思考がない
・共感が最上にして唯一の感情の放出、自我の表現とみなされる(西洋的社会で言われる意味での自我はない)
つまり「今」しかない。
過去も未来も聖典に記録されるもの。そのときそのときの感情以外に向き合うべきものはない。「今」その場の「私たち」しかいない。
もう動物。めちゃくちゃ動物。長い時間をかけて徐々にねじ曲がってきた価値観。奪われてきた自我の芽。きちんと育てば大木になるかもしれなかった数々の人間の可能性。もしこの村にアインシュタインが生まれていても、ルーン文字を習うから算数ができないまま一生を終えていた可能性もあるんですよね~~。あっ修正がきかないタイプの歪み。怖い。好き。
・ダニーが叫び、女の子たちが共感するシーン
ぶっちゃけ作中一に好きなシーン。カタルシスのほとんどをここが持って行った。
クリスチャンと一緒にいても飛行機の中でも、一度も泣けなかった。ホルガにきて、アッテストゥパンに動揺していても泣けなかった。空気を読んじゃって。一人になりたくなくて。見捨てられたら生きていけないことを、誰より自分がわかっていたから。
そんなダニーにも一緒に泣いてくれる女の子たちができたんですよ! 彼女たちは家族、姉妹なんですよ! ダニーはメイクイーンで、一日限りとはいえ女王で、ホルガになくてはならない存在価値を手に入れたんですよ!
ここが不気味とか共感しかない動物やんけとか言う人のご意見、正直いみわからん。動物で何が悪いんや??? 人間の本質は感情で、汚く、気持ち悪く、チンパンジーに毛が生えた程度の動物なんだからしょうがないのでは??? 攻撃や悪意に向かいかねない感情はすべて外部の敵に向けて、内部にはこういう共感だけ残しておく。みんななかま。みんないっしょ。よそものきらい。法律も法の裁きもこの「ムラ意識」に勝てないと思うんですよ。村八分に勝てる法律なんてないんですよ。それでいいじゃないホルガはらくえんなんだもの。閑話休題。
子づくり儀式の声に反応するダニーに女の子はいいます、「私たちには関係ない」ことだと。
おそらくダニーが興味を示すまで、あの儀式は女の子たちの意識の外だったのだと思います。彼女たちはメイクイーンのために馬車を引く係なわけですから。
けれどそのメイクイーンが自分の担当ではない儀式に興味を示し、そういえばあの男ってこの子のカレピッピだったような…とみんな気づく。彼女たちがダニーを引き留めようとしたのは、関係ない儀式に関わる、という発想がなかったことももちろんですが、ダニーが傷つくかもしれないと思った「優しさ」だったと思います。広場に着く前に気づけよ。でもまさかメイクイーンが子づくり儀式に関わると思ってなかったんだよね、違う儀式なんだもんね。眼中になかったんだよね。
そしてダニーの嘔吐。絶叫。慟哭。それへの共感、と続いていくのだと思います。
チンパンジーの母親が誤って赤ん坊チンパンジーの頭を岩にぶつけてしまい、泣きわめく我が子に同調して頭を抱え、同じような声で泣きわめくという動画を見たことがあります。あっ似てるなと思いました。本能のままに相手の感情に同調する。共感こそすべて。ホルガでは人間らしさというのは共感なんだと思います。「そうすべきだから」食事はそのときの主役から順番に! 「そういうものだから」共感し、順序を守り、悪いよそ者には死を! 儀式を! 祝祭を!
いやー、これが愛ではなくてなんだというんです???
これが集団が存続していくための祈りではなくて、なんだというんですか???
自我がなくみんな「幸福」で酩酊したような日々が続く永遠のコミューン。何かあってもそこにいる家族に「受け止めて」もらえる社会。それが安心を生み、安心すれば自分の頭で考えることをやめ、自我をなくしていくんでしょう。
本当の意味で「受け止めて」もらえなくったっていいんですよ。だってダニーが求めていたのは自分の居場所、思いっきり泣けるところ、なくした家族の代わりに受け入れてくれる家族だったわけですから。たぶん女の子たちの中には、なんでダニーが吐くほど泣いたのかわかってなかった子もいたと思う。そういう発想がないとか、単純に恋を想像できない年齢であるとか、いろんな理由で。でも一緒に泣いてくれた彼女の共感に、理解がなかったという理由で無価値だなんて、そんなこと言えるわけがない!
ふええ仲間に入れてほしい。何も考えないで済む至高の祝福がそこにあった…らくえんがそこにある…その名はホルガ…。
まあ私はダニーほどのガッツもなければ土壇場で覚醒するだけのバイタリティもなく、そもそもマーク並みのなんかをやらかしそうなんで早々に皮を剥がれると思います。だからこそこの映画に物凄いカタルシスをもらったんですよね。私はホルガの家族になれない。入れてもらえない。でもダニーは違った。彼女は自分の居場所を見つけた。新しい家族に受け入れられた。
英雄譚やんけ。放浪の英雄が新しい国の王になるやつやんけ。
などと考えてめちゃくちゃに感動している。ふえええダニーしゅきい。
・アッテストゥパンについて
最初の祝祭の始まりの儀式で、アッテストゥパンする予定の老爺と老婆は台の上にいるんですね。そして松明を手渡される。そして「炎よもう燃えんな」みたいなことを言われる。この時からすでに老婆の方は顔がこわばっている。食事のシーンでもそう。食事を終えて詩吟? ホウッホウッ歌うのを終えたところで、なんだか諦めたような、覚悟を決めたような顔になる。だから老婆は身投げに成功したんだと思います。頭から落ちて即死することができた。
一方老爺は、儀式の始まりから一貫して表情が同じ。崖の上に立つ段階になっても同じ。魂が抜けたような、状況を把握していないような顔。だから老爺の方は足から落ちて失敗したんだと思うんですよね。
老爺が足から落ちた時あっ生きてるなこれと思って、案の定失敗してめちゃくちゃ痛そうだった。そして共感の村人たち。「あー」
青い帯を斜めにした三人が、死にぞこなった老爺に槌を振り下ろす。中年の男女三人なんですよね。これは老夫婦の子供たちかなあと思った。もしもホルガにも最低限の家族の仕切りがあるとしたら、「生と死」くらいは身内が手出ししてもいいとかだったらいいなあ。
このことからの妄想なんですが、やっぱりホルガの人にも相応の死を怖がる気持ちはあるよね…。でも「そういうもの」だから死にに行く。生贄に志願する。その先にコミューンの更なる存続と、精霊への信仰と、色々な聖なるものがあると信じているから。
怖いなあ。痛いのも死ぬのも何歳になってもいやに決まっているじゃないか。
あ、あと二度目の鑑賞で気づいたんですが、画面右下で飛び降りを待ってるウルフがワックワクのドッキドキで拳握りしめてるのがちょっと笑った。高揚しちゃったんだね…自分(とイングマール)は大トリだもんね。
・子づくり儀式とマヤ
ホルガについて最初にマヤが映ったとき、妙に表情で髪を編んでいるのでマヤが生贄かと思ったんですよね。違ったけど~。おそらく事前に子供を作る係に選ばれており、これから外から来た「種」に会う緊張だったんだと思います。
マヤがどうしてクリスチャンを選んだのかはわからないけれど、理由の一端に彼の赤毛があったら面白いとも思います。マヤは赤毛。彼の赤毛。
子作りの儀式のとき、破瓜したマヤはある女性に手を伸ばす。女性もしゃがみ込んでマヤの頭を撫でる。あれはマヤのお母さんかな? と思います。あの場にいた女たちにとってセックスは本当に「子づくり」であって、マジで対人関係ではなく儀式だったんでしょう。お母さんも嬉しかったよね…自分の娘が一人前に義務を果たして儀式に臨んでるから。クリスチャンは人間じゃなくて徹底して「種」なんですよねえ。
ラストシーン、マヤの服は他の人たちより赤が多い、なんだか花嫁衣装みたいです。妊婦の印かな?
赤は生命の色。この映画は赤い消防車のランプが旋回する無理心中事件から始まり、村人たちの赤い衣装と焼け落ちる神殿の炎の色で終わる。青いセーターで涙をぬぐっていたダニーは、重く歩くのも一苦労なメイクイーンの飾りの中で微笑む。
身重になったマヤと、花だらけのダニー。たぶんダニーはあの後ホルガで生きていきそうだから、二人がクリスチャンのことで揉めないか心配ではあるんですが、どっちもほどほどに歩きにくい状態で終わったところに共感しあって仲良くしてくれたらいいなあと思います。がんばれ。
・ダニーとクリスチャン
ぶっちゃけダニーとクリスチャンの感情の行き違いについては、あーそりゃ無理だわあのレベルのメンヘラはあの男には支えきれんじゃろ。という感じですね。ダニーはわりとマッチョ感あるクリスチャンに頼りたい。安心したい。見放されたら生きていけない。クリスチャンは彼女がほしい。別にダニーでなくてもいい。
ただ個人的に自分がクリスチャンで、ダニーをちゃんと見てろよ! あの状態にビビらず対話しろ、逃げるな抱えて守って安心させてやれよカレピだろ! と言われたら無理なんで、クリスチャンの人格がまあまあ最悪というのを抜きにしてもあのラストはちょい行きすぎかな…と思わなくもない。
正直、まさかダニーが生き残るとは思ってもみませんでした。最後の最後でダニーの情が勝って、クリスチャンが生き延びるラストもあるかなーとも思ってたんですよ。
クリスチャンの非情さって、よくある非情さじゃんと思ってしまう部分がありました。誕生日忘れられたりとか、長いカップルで男が女に飽きてたら普通に起こる事件じゃないですか。ホルガに着く前はいまいちダニーに感情移入しきれなかったんですよ。ダニーにとって致命傷な数々のクリスチャンの態度も、ときどきクリスチャンの「ちっめんどくせーな」の方に共感してしまうときもありましてですね。なんでだろう。
ダニーの苦しみや悲しみが大きすぎて、共感も見捨てもできないクリスチャンの方に感情移入するほうが、私が傷つかないですんだからかな。
ディレクターズカット版だともうちょっとクリスチャンが最悪らしいので、そっちを見たらまた改めて考えてみたいです。
・ペレの言ってることについて妄想
ペレの両親が焼け死んだって言っていたシーン。儀式が本当に90年ごとに繰り返されるのであれば、儀式で死んだのではない。
つまりホルガから逃げ出そうとして焼き殺されたのではないか? 巡礼にかこつけて逃げ出すと、追手が差し向けられて殺されるんじゃないだろうか。ペレの狂信者ぷりがちょっととびぬけて見えるのも両親の反動か?
おそらく18~36歳の巡礼者=外から生贄を連れてくる係で、90年に一度の儀式に向けて巡礼者として外の人間を誑かす技術が伝達されているのでは。それにしてはスパンが長い気もする…。
イングマールとウルフが生贄に志願して、ペレはちゃっかり生き残っているのも気になる。ウルフはアッテストゥパンのときのワックワク☆で、本当に生贄になりたかった可能性もある。イングマールはどうなんだろう。
ペレの両親が逃げようとして生贄にされる→村人たちはペレに「お前はああなるなよ」教育を施す→一緒に育ったイングマールも極端にコミューンへの忠誠心を持つようになる。
今までさんざん村人について自我がない自我がない言ってきていますが、しょせん人間なので一番汚い感情はこっそり残っていると思うんですよね。幼いペレに「お前さんはああいう両親の子供だから」系のことを言った人がいて、ペレの中に二面性が育った。村にとって都合よく、よい生贄を連れてくる「人を見る目がある」巡礼者のペレ。その裏ではなんとかこの頭おかしい村で生き残ってやる! とあがくペレ……。兄弟のイングマールをそそのかし、生贄に志願させて自分はその同調圧力から逃れようとしたペレ……。
そういう目に見えない感情のやり取りがね、あの共感の下に忍び込んでいるかと想像してみます。みんな共感共感している中に、老爺が飛び降りに失敗した原因の感情がやっぱりあって、それが発露するたびに集団に潰されて潰されて、誰も成功できずに焼かれてきたのではないかと考えるとね。
さいっこうだね!!!!!!!ぜんぶ妄想なんだけどね!!!!!!!!!
・90年に一度のミッドサマー
ところでやっぱりあの儀式、本当は9年か18年ごとに繰り返してるんじゃないの? 大規模にプレハブ神殿を立ててやるのは90年に一度のスパンでも、もうちょっと規模が小さい儀式はちょくちょく開催されていると思う。あとは集団内での違反者リンチに生贄儀式とか。
・アッテストゥパン → 開催されないと赤ん坊が生めないので、72歳越えが出るたびに。
・生贄儀式 → 9人を捧げるほどではないが志願者がいれば決行。あるいは犯罪者を殺すため。凶作とか伝染病のたびにやってたりして。
・ダンスバトル → 夏至と冬至のたび年二回。写真が多かったし。
・部外者により新しい血を入れる → これは90年周期。
・熊 → 熊をゲットするのは難しいので、90年周期。
こんな感じ?
最期の生贄を決めるときのくじ引きで、本当に村人の名前は同じだけしかないとわかったし。たぶん許可されてないのに赤ん坊を作っちゃって生贄にされた若いカップルとかいたと思うんだ…
ホルガ村の閉鎖環境はあまりにも設定が良すぎて、こういう妄想がポンポン浮かんできてしまう。
取り急ぎ以上です!楽しかった!