AIに生成してもらった毎日を生きてみた
はじめに
ぼくの名前は、宮田和弥。東京でしがないサラリーマンをしている。
突然だが、昨今、画像生成AIが世間を席巻している。
呪文と呼ばれるテキストを入力すると、そのテキストに沿って、精巧な画像が生成される代物だ。「Midjourney」とか「Stable diffusion」とか、LINEで手軽に使える「お絵描きばりぐっどくん」などが有名なのではないだろうか。
そんな画像生成AIを触っていたある日、ぼくは、興味本位で自分の名前を入力してみた。すると、どういうことなのだろう。
何回試しても、AIが描く「宮田和弥」は、上裸でボクシンググローブをはめて、ファイティングポーズをとってリングの上で戦っているのだ。
なんで??
試しに過去の適当な日付(「2021年9月1日の宮田和弥」)を指定して画像を生成してみた。次の日、その次の日。すると、AIは、本当に「宮田和弥」がそれらの日々を生きてきたかのように、多彩な写真を寄越してきた。 ある日はボクサー、ある日は講演会、ある日はスーツ姿…
おくられてくる写真から、ボクサーとして活躍しつつ、トレーニングに励み記者会見やビジネスもこなす、一人の男の毎日が浮かび上がってきた。これこそが、AIが考える「宮田和弥」だ。人類がこれまでに蓄積した何十億枚にも及ぶ画像を学習した結果、描かれる「宮田和弥の毎日」だ!
同姓同名の人がまったくの赤の他人に感じられないように、ぼくはなんだかこのAIが描く「宮田和弥」の存在が気になって頭から離れなくなってしまった。テクノロジーの発達 により、あらゆるものの本質が置き換わる世の中で、人類の叡智が導き出す「宮田和弥」と、僕、どっちがホンモノなんだろう。
だって、きっと、近い未来に「現実」と「生成した現実」は区別つかなくなる。というより、もうなっている。辞書が言葉の定義を決め、wikipediaが過去の事実を規定していくように、きっとこれから先、AIによって生成される事柄が世界の概念(=ステレオタイプ)をつくっていくことは間違いない。となれば、長い目線で見れば、「ホンモノの宮田和弥」はこいつになるのではないか・・・と、そこまで考えて、ふと、思った。
僕が、AIが描く「宮田和弥」になったらいいのではないだろうか?
つまり、現実の僕が「生成した宮田和弥」へ、近づいていくのだ。寄せていくのだ。なりきるのだ。そうすることで、僕は人間を超越した「正真正銘ホンモノの宮田和弥」になることができるのではないだろうか。
AIが考える宮田和弥になりきってみる
美容室へいく
そこで、まず僕は「宮田和弥」の写真をもって美容室に行くことにした。いつもお世話になっている美容室だ。僕は、そこのNさんに「絶対に似合います」と勧められて、2年かけて髪を伸ばして整えてきた。
だから、僕が、「ちょっと特殊なオーダーがあるんですけど・・」
と、美容師のNさんに僕の企みを伝え、「宮田和弥」の写真を見せたら、「これは・・ダサいっすね・・・」とNさんは残念そうな顔をした。そう、AIが考える「宮田和弥」の髪型は誰がどう見てもイカしてない。
しかしNさんは、次第に「宮田和弥」の髪型について考察始めた。「きっとこの宮田さんは、一度坊主にしたんでしょうね。そしてそれからずっと整えずに伸ばしっぱなしにしている・・。だから、かなり散切り頭になっています。あと、前髪は自分で適当に切った可能性があります。トレーニングの時に邪魔だったんじゃないでしょうか。じゃないと、こんなに束感はでないっす」
やはりプロは違う。おかげでかなり解像度高く「宮田和弥」を理解することができた。きっと彼はそんなに活躍しているタイプじゃない。下積みで頑張っていて外見には無頓着なボクサー。それが「宮田和弥」なのだ。
「ダサくしてくださいってオーダー、役者さん以外では、はじめてです」とNさんは笑っていた。そして、「(現実の)宮田さんは、癖毛があるので、完全にこの人にはなりませんが、安いゴワゴワするスプレーとかで、ぺったんこに潰したら、この雰囲気が出ると思います。」と、彼の髪型の再現の仕方まで伝授してくれた。恐るべし。
そして、できたのが、これだ。どうだろう?
少しは「宮田和弥」に近づけたような・・・・気がする。
「宮田和弥」の外見になりきった僕は、さらなる野望に燃えていた。このまま、「宮田和弥」の生活を模倣するのだ。一ヶ月間。AIが考える「宮田和弥」と同じ生活を過ごす。それで何かがどうなるってわけでもないんだけど、やりたいとおもっちゃったら仕方がない。こちとら人間だもん。
1ヶ月生活開始
そうして「宮田和弥なりきり生活」が幕を開けた。
ルールは、こう設定した。
①AIに「〇月〇日(今日の日付)の宮田和弥」を描いてもらう。
②生成された写真から、彼のその日を推察する。
②そして、身も心も「宮田和弥」になりきって、その写真を再現する。
2022年9月前半
何言ってんの?と思った方も、この先をみていただけば、私の試みをきっと理解していただけると思う。それでは、さっそくはじめよう。
※実施したのは2022年9月です。なので、その時点での「宮田和弥」です。
※すべての画像生成は「お絵描きばりぐっどくん」を使用しています。
※生成された画像に対し、勝手な解釈と妄想を繰り広げています。
●2022年9月1日の宮田和弥
AIに本日(2022年9月1日)の宮田和弥を描いてもらった。まずは目を引くのは独特なデザインのTシャツ。NASAのパチモンだろうか、「NATA」と書いてある。周りには解読不能な文字が並ぶ。そして「宮田和弥」は、元気出せよと声をかけたくなるくらい物憂げな表情を浮かべている。きっと昨日の試合があまりうまくいかなかったのだろう。この表情は再現ポイントだ。試合明けの1日という感じがする。そしてこの普段着な感じは、家の近くの街角コンビニ帰りのシーンに違いない。ということで・・
どうだろうか。これが、画像生成AIが考える「2022年9月1日の宮田和弥」になりきった、現実の2022年9月1日の宮田和弥だ。Tシャツは、AIが生成した柄をトレースして再現した。無機質なコンクリートブロックの背景も、家の近所で似たような場所を探し出した。
●2022年9月2日の宮田和弥
「宮田和弥」が、道路の真ん中で観葉植物に向かって荒ぶっている。トレーニング中だろうか、タンクトップで動きやすそうな格好だ。植物はきれいな緑色で、活き活きしているからきっと、マメに愛情を注いで育てられているのだろう。この日も、「宮田和弥」は、日光を浴びせるために昼間のトレーニングに植物を連れてきた。なのに、うまくいかなくて(もしかしたらこの間の敗戦を引きずっていて)、愛する観葉植物にイライラをぶつけてしまいそうになっている・・・という気持ちで。
●2022年9月3日の宮田和弥
昨日は、あんなに荒ぶっていたのに、なにやら今日の宮田和弥はおとなしい。なにやら説教をくらっているように、背中を丸めている。でもよくみると、その表情からあまり心からの反省の色は見えない。ふてぶてしさを感じる。腐っても宮田和弥は闘魂あふれるボクサーなのだ。「いつでもやれるんだからな?」とその立ち姿から無言の圧力が滲み出ている。
●2022年9月5日の宮田和弥
老けた・・? 宮田和弥がおそらく記者会見を受けている。次の試合の意気込みなどを聞かれているのだろうか。そして昨日から20歳は歳をとった気がする。あしたのジョーでも、ストレスのかかる試合で一気に白髪になったキャラがいたが、それと同じようなことだろう。ボクサーは時間という概念をもゆがめてしまう「何か」といつも戦っているのだ。
●2022年9月7日の宮田和弥
この日は真面目にトレーニングに励んでいるようだ。このあいだ急に年齢を重ねた彼が、夢を追って過酷なトレーニングに励んでいる姿は胸を打つ。しかし、息があがり虚な目で脂汗を浮かべて険しい表情をしていて、余裕なんか1mmも見えない。頑張って欲しい。そしてくっきりと、ナイキ。
(後述)実はこの日以降、「宮田和弥」のボクサーイメージはほぼ消滅する。ぼくはいつか彼がトロフィーをつかむストーリーを、どこか期待していた。だが、現実と同じく、AIが考える世界もそんなにうまくいくものではないらしい。9月7日以降、どこかふらふらと生きている(ように感じる)「宮田和弥」の日々が記録されて、僕は少し戸惑いながらなりきっていた。
●2022年9月8日の宮田和弥
ボクサーから一転して、やつれた怪しい宗教家みたいな雰囲気を漂わせている。黒い長袖シャツを着ていて、手には難読不能な文字が書かれた紙をもっていて、説教中のようなボーズ。無表情なので感情はつかみづらいが、まっすぐな瞳からは、なにやら「信念」のようなものをかんじさせる。変なもん売ってないといいけど。
●2022年9月10日の宮田和弥
いや、これはもう完全にインチキ宗教家だ。みなに「幸せになれるポーズ」を伝授してる。男気あふれるボクサー時代の方が好きだったが、これはこれで仕方ない。ボクサー時代の僅かな知名度を活用して、セミナーを開催しているのだろう。僕もインチキ宗教家になるのだ。
幸せになれるポーズ。
●2022年9月11日の宮田和弥
インチキ宗教家から一転、「宮田和弥」は、ギターを奏でる面もあるらしい。さながら、バラードを歌うシンガーソングライターだ。麦わら帽子とかかぶって夏フェスとかに出演してそう。ボクサーを諦めた彼は、いろいろ進む道模索しているのかな。
●2022年9月13日の宮田和弥
休日の散歩だろうか。無精髭がはえた「宮田和弥」が緑が気持ちい道路を歩いている。清々しい表情で、ぴちぴちのTシャツ。背景は若干海外っぽいが、これは再現できずに断念。チクポッチは、しっかりと再現。
●2022年9月15日の宮田和弥
この写真で確信したが、宮田和弥のファッションセンスはものすごく絶望的だ。ダサい。この日はデートだろうか?特徴的な建造物の前で、ぴちぴちのYシャツをパンツにinしている(ダサい)。不可思議な柄のパンツはもちろん手元になかったため、お菓子のパッケージの裏側で代用。背景の再原に苦労した。
2022年9月後半
(後述)9月後半に入り、ビジネスマンとして奮闘する毎日が刻まれるようになる。ボクサーだったり宗教家だったことはおくびにも出さず、健気に頑張っている。どうやら彼は本格的に第二の人生を歩み出したようにみえる。
●2022年9月16日の宮田和弥
解読不明な社員証のようなプラカードをぶら下げる「宮田和弥」。どこかの研究所前の並木道のような場所で、誰かに何かを説明しているように見える。というより、変な指の形をしていたので頑張って再現。
●2022年9月18日の宮田和弥
胡散臭い髪型で何かを言いかけている表情の「宮田和弥」。何かの会議の一幕だろうか。これまた追い込まれているのか老けている。不祥事を起こした会社の謝罪会見で、記者に問い詰められて何か言いたげな役員のようにもみえる。
※この不満げな表情をつくるため「それってあなたの感想ですよね?」っていいながら撮影しました。
●2022年9月19日の宮田和弥
完全な作り笑いでお偉いさんを待ち構えている「宮田和弥」。昨日の記者会見を終え、スッキリした感じにも見える。昨日の顔の太々しさは消えて、一枚皮が向けたような、そんな感じにも見える。
●2022年9月20日の宮田和弥
会社にて、上司のミスを見て思わずにやけてしまう「宮田和弥」
●2022年9月21日の宮田和弥
威勢の良いことしか言わない地方若手議員風「宮田和弥」。
ストライプTは手作りである。急にマスクをしてる。そして某市長が問題になった指の形。
●2022年9月22日の宮田和弥
虚無の顔でキツネを披露する「宮田和弥」。台湾のバラエティ感。
●2022年9月23日の宮田和弥
急に渋めのおじさんへと変化した「宮田和弥」。東南アジアあたりでマフィアの頭をはっていそうな風格が漂っている。昨日までのやわな「宮田和弥」と打って変わって、ボクサー要素が疼いているのを感じる。真面目な会社員かと思いきや、こういう裏の顔も持ち合わせているから舐めちゃいけない。
●2022年9月25日の宮田和弥
なにやら苦渋の表情で記者会見を行う「宮田和弥」。
●2022年9月26日の宮田和弥
この写真が出てきたとき、僕は思わず歓喜の声をあげた。だって、ついに、「宮田和弥」がリングの上に戻ってきた!!顔にも闘志が漲っている。
この微妙な足の開き具合を再現するために数十回撮影。筋肉痛になりました。
●2022年9月28日の宮田和弥
なにがあったんだよー!!!!!
センシティブな画像が生成された時に出てくる文言らしく、はじめてのことで驚く。昨日リングに戻ってきた宮田和弥の動向が気になってた僕からすると気が気じゃない。
●2022年9月29日の宮田和弥
え??ちょっと反省してない??
昨日何があったかはわからないが、なんだかこの写真からは後悔の念のようなものが伝わってくるのは僕だけだろうか。やっぱ昨日なんかやらかしたろ・・。涙ぐんでいるようにも見える潤んだ瞳からは、深い絶望の色が見える。
いらないジャケットの片側を白ペンキで塗り、ツートンスーツを再現。
そして、9月30日。なりきり生活の最終日。
●2022年9月30日の宮田和弥
無の表情を浮かべてどこかをみつめる宮田和弥。ボクサーで鍛えた、ガタイの良さは見てとれるも、その顔からは闘気は感じられない。リングに戻ったのように感じたのは、幻想だったのか。全てを失ってなにかを悟ったかのようにも見える。だが、それは終わりじゃない。だって「宮田和弥」は間違いなく空を見上げている。俯いていない。きっと未来はここからだから。
・・・・
おわりに
こうして僕は、一ヶ月間の「宮田和弥なりきり生活」を終えた。生成された写真は同じ世界観にありながら、どれも突拍子もないシーンが描かれるものだから、再現する日々は、とても新しい発見に溢れる日々だった。
AIが生成する画像を見て、「この場所はあそこっぽい!」とか「この顔はこういう気持ちだろうか?」とか、今までの自分の記憶の中から、似ている場所や行動を探し出していて、再現していく毎日はとても嬉しかった。
AIが考える「宮田和弥」と同化するために創意工夫してく中で、なんだか僕は僕自身が炙り出されたような気がした。「こんな服着ないな〜」とか、「こんな表情したことないな・・」とか。きっとこの炙り出された部分は、まちがいなく現実の宮田和弥の「オリジナリティ」なのだと思うし、「人間らしさ」なんだ、といっては過言だろうか。
こうして、僕はひとまず、「宮田和弥」の生活を追いかけることを終わりとする。きっと彼は、これからも膨大なデータに左右されながら、計算的に確からしい「宮田和弥」の毎日を送っていくのだろう。
僕は、またしがないサラリーマンに戻って、誰にも真似されることない宮田和弥の人生を過ごそうと思う。そうして、これから先、宮田和弥の人生の痕跡を、AIが学習して、どこかで「宮田和弥」に影響を及ぼせたらいいな、なんて思いながら。
(終わり)