パッケージやどうぶつ型に萌えることへのルーツ、ここにあり。
わたしには、ある「癖(へき)」がある。
へきなんて言うと、いけないことのように聞こえてしまうかもしれないけれど
なんてことない普通の癖で
かわいい食べ物ものを買ってしまう癖。
パッケージもそうだし、貼ってあるシールや、かわいいカタチの食べ物やどうぶつ型だとなお嬉しい。
それを、収集してしまう癖。
そのおかげで家はモノで溢れてしまう。
食べたい気持ちよりも、写真を撮ったり食べ終わった後のパッケージをきれいに取っておくことの方が大事で
こんなにかわいいの食べられないよなんて思って冷凍してしまう場合も。
扉を開けるたびに目があうことで、それらを買ったことへの喜びが溢れる。
包み紙や、缶や瓶、直接食べ物に触れているパッケージは洗って乾かして保存。
老舗のパン屋さんやお菓子屋さんのレトロなパッケージが特に大好物。
ファイルに挟んでいたのだけれど、そのファイルすらもパンパンでぶっとくなったファイルを大きな輪ゴムで止めてあるような状態。
整理が苦手、でも収集癖があるのが困ったところだ。
断捨離は出来ない。
だってこれは全部、わたしにとって必要でしかないものだから。
母はそういったわたしの、癖をまったく理解せずになんでも捨てたがる。
今回の帰省でも、うっかりしてたら必要なものを捨てられてしまった。
他人の目にはゴミと映るものだから仕方がない。しかもしっかりと管理をしていなかったのはわたし。
母の目を盗み、ゴミ箱から救出してよく洗う。家庭ゴミだからまだギリギリセーフだと思った。
そして、朝起きたら時にわたしが冷凍して大切にしていたとら型のドーナツが無惨にも切り刻まれていた…!
なんてこった。
確かにね、今日食べると言ってあったけど…
まぁご丁寧なことを。
とらだったことすらわからない。
目もどこかへ行ってしまった。
(公式さんからお写真お借りしてます)
この姿をしていたはずなのに。
母のやつ…
ここはあえて、親になんて口…をききますよ。
母のやつめー!!
あっけらかーんと、「半分ずつ食べようと思ってさっき切った」と言う母とはさすがにもめた。
「写真撮ろうと思ったのに」って、いい大人が涙目ですよ。
あと1分早く起きていればあんなことにはならなかった。
まったく違う性格なので、本当に同じDNAなのかどうか、本当は違う人から生まれたんじゃないかともやもやもやもやしていたら
父のメガネケースにこんなシールが貼ってあった。
確かこれは、お正月に食べたお刺身のパッケージに貼ってあったシールだ!!
(実家の座布団の柄もかわいいから、背景は座布団!)
これは、わたしのかばんに入っている除菌シートの蓋。
ドムドムのハンバーガーシールを貼っている。
これは確か夏の頃、除菌するたびに楽しくておいしい気持ちを思い出すために貼ったものだった。
離れた場所で、しかも打ち合わせなしで同じことをしている。
そうか、わたしは父親片一方のDNAを強めに引き継いでいた。
父親とは昔からどうもうまく行かず、コミニュケーションがうまく取れない。
何をするにも不器用で空気が読めず、悪気なく人を傷つけてしまうこともある。
悪気がないからいいのではなく、悪気がないから尚更よくないというか、なんだろう。
おかげでわたしたち家族は、思い描く理想の家族ではなかった。
今だって帰省すれば、母は父の愚痴をこぼす。こぼすどころかぼろぼろと溢れて止まらない。
普段、電話でも聞いているのに。
子供の頃にはわからなくて、その気持ちもわかるし母の肩を持つことしか出来なかったけど
大人になるとなんか違う。
時々、自分の姿と重ねて見てしまう。
ジャンルは違えども父は父なりに生きづらさを抱えながら必死にこの世界に食らいついている。
それが少しずつ見えてきた今ならわたしも気持ちがわかる。
例えばもう少し遅く、わたしと同年代で生まれてきていたらもう少し生きやすかったのかな、とかそんなことはわからないけれど
時代は目に見えて変わって来ているから、父のような、そしてわたしのような生きづらさを抱える人たちが少しずつ居場所を確保できるようになってきている。
男らしくない、頼りにならない、そんな言葉も時代に合わない。
ジェンダー平等、多様性の時代。
お互いに歩み寄って行けたら、という願いはまだうちの家族では空回りしている。
昨年は叶わなかった帰省をし、一緒にご飯を食べた。
父は老眼鏡をかけるたびに
お刺身をみんなで食べた気持ちを思い出すのだろう。
なんだかまた小さくなったなぁと思うことはドラマの中だけの話かと思っていたら余裕で自分の中でも起こることだった。
寒いからとニット帽を被りこたつの中にちょこんと収まる姿を見ていたら思いが溢れてしまった。
風の時代に突入して、1年が過ぎた。
わたしも、自分の軸を決めてブレずに生きようと決めたはず。
限られた時間の中で、しかも普段は離れて暮らす家族の時間をどんな風に楽しくしたろかな!と。
そうは思っても、なかなか急に仲良くなれるわけでもなく…わたしたちはいつもの微妙な距離感で向かい合ってこたつに入っていた。
足がぶつかると、イライラが止まらなかったはずなのに今回ばかりは少しだけ優しい気持ちになれた…気がする。気がするだけかもしれない。
とはいえ、長くいればまたギクシャクしだすと思うからちょうどいい距離感で今自分にできることをしていけたらいいのかなと思う。
「そういえばさ、記念硬貨集めてたよね?見せてよ」なんて。
今度はコレクター仲間として、ちょっと話をしてみようか。
意外と、ヲタ友みたいになれたりして。