NICUでの日々
NICUには、10日ほどお世話になった。
ちゃんと飲めるか、消化できているか、排泄は問題ないか。生後しばらく呼吸が安定しなかった息子は、授乳中すぐに酸素飽和度が下がり、モニターがアラーム音を立ててヒヤヒヤした。
呼吸も安定し、よく飲み、排泄も問題なさそう、と胸を撫で下ろしたのも束の間。
CTスキャンと新生児聴覚スクリーニングの結果が出たのだ。新生児聴覚スクリーニングは、案の定リファー。まぁそれは想定の範囲内。
問題はCTだった。
耳は、外耳、中耳、内耳から成る。音を聞く上で一番大切なのは、内耳だ。聴覚神経がしっかりしていれば、補聴器をつけることで音が聞こえる、というにわか知識をネットの情報から得ていた。
息子の場合、外耳道閉鎖という診断だった。耳の穴が開いておらず、外耳道が何らかで塞がっていた。骨なのか、肉なのかはわからなかった。
「内耳もダメですね。三半規管も見えませんし、蝸牛もよくわからない。おそらく全く聞こえないでしょう。人工内耳装用を考えるべきでしょうね」
医師から吐き出された言葉は、あまりに非常だった。頭が痺れたようになり、言葉を言葉として認識できなかった。認識したくなかった、と言った方が近いかもしれない。
どうか良い結果であってくれと、祈るような気持ちで夫婦で握り合っていた手に、力がこもる。
「三半規管がないって、、、平衡感覚もないってことですか。この子は、、、立てるんでしょうか」
絞り出すように聞いた質問に、医師は
「うーん、よくわかりません。耳ってね、めちゃくちゃ複雑な組織なんですよ。専門医じゃないとわからないことがたくさんあります」
「それなら、CTを一緒に解析してくれた耳鼻科の先生とお話したいです」
と頼むのがやっとだった。
この子は、一生音が聞こえないかもしれない。ママ、パパ、ねえねの声も聞こえない。将来、愛した人ができたとしても、その人の声も聞こえない。話すこともできない。
絶望だった。
30数年生きてきて、こんな気持ちになったのは初めてだった。なぜ、どうしてうちの子なの?この子が何をしたっていうの?
体がふわふわとして実態を伴わない一方、気持ちは重苦しく地を這うようだった。タクシーを待つ間、病院で夫婦揃ってボロボロ泣いた。拭っても拭っても、涙が溢れた。
家では、娘が待っている。こんな顔して帰れない。心配かけたくない。息子の誕生が悲しいものだと誤解させてはいけない。だから、今のうちに泣いておこう。
2人で泣きながら、「息子くんには、きれいなものをいっぱい見せてあげよう。あなたの生まれてきた世界はステキだよ、こんなに美しいもので溢れてるんだよって、教えてあげよう」と決めた。