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無線機で感じた「相手を思いやるコミュニケーションの大事さ」と「情報社会の生き辛さ」

先日、友人と「We Were Here Together」というゲームをプレイした。

◆無線機によるコミュニケーションの難しさ


2人専用パズルゲームで雪山の謎を二人で解き明かすゲーム。
このゲームの肝が「無線機によるコミュニケーション」である。
お互いの状況や環境を無線機で伝えて、別行動の相手と意思疎通を図りパズルを解くという仕組みだ。それ以外の伝える方法はほぼない。無線機越しの声を頼りながらゲームを攻略していく。

この無線機コミュニケーションが凄く難しかった!

無線機の仕組みとしては
①無線機のスイッチを入れる。
②喋る。
③無線機のスイッチを切る。
喋るだけなら簡単だが、無線機の特性上、「自分が喋ってる間は相手の声が聞こえない」という事。
つまり、相手が喋るタイミングとこっちが喋るタイミングが重なるとお互いが独り言を喋っている状態になるのだ。

最初の数分はこのシステムに右往左往していた。しょうがないのでdiscordで喋りながら無線機の特性を理解してdesicordの通話を切り、ゲームを始める。(ぶっちゃけdiscordで通話してれば楽なんだけど、折角の醍醐味となるシステムだから活かさないとね。)

操作は分かったがいくつか問題が出てきた。
①相手が喋り終わるタイミングが分からない
Aが「~に~があるよ。」という会話にBが「了解!」と返答しようとする。
だが、Aが「~に~があるよ。でも~」と会話が続くと途中でBが「了解」と話すとその間の相手の声が聞こえないし、こっちが喋っているという事も分からない。
この状況を双方の視点から見ると…。
A目線「状況を説明したが、相手から反応がない。」
B目線「相槌をうったので会話は成立していると思っている。」

難しい………。

そのため、先人の知恵をお借りして喋り終わりに「オーバー」と付ける事をルールとした。
そのおかげで状況を説明し終わりが分かり、確実に意思疎通が出来るようになった。凄い便利。映画とかで良くある「オーバー」が本当に大事な決まり事だと凄く実感した。
そのままゲームを進めていく。語尾にオーバーをつけながら喋っているとお互いが別の場所で作業しないといけない場面が出てきた。
そうなると自分の状況を正確に伝える必要があった。
A「目の前には~があって、~のマークがついている。そこにはスイッチがあって~だねオーバー。」
B「了解、こっちには~のマークがあります。試しに押してみますねオーバー。」
A「了解。お願いオーバー。」
B「ボタン押したら目の前のエレベーターが動いた先に進めそうですオーバー。」
A「こっちのエレベーターも動きました。でも降りる事は出来ませんオーバー。」

という感じだ。相手側の目線は無線機越しでしか分からない。その限られた情報で推測し理解し状況を把握する。そして逆にこちらの情報を的確に分かりやすく整理し、理解しやすい言葉で相手に伝える。

この処理が凄く頭を使い、かつ相手の事を考えながら物事を進める必要があった。とっても大変だった。謎自体も難しいがその情報の共有化と伝達力が試されるゲーム。現代社会で相互会話が簡単に出来るからこそ分かる不便さ。ただ、この不便さ故に相手を慮る気持ちが大事だと感じた。

似たような事を「デスストランディング」を作った小島監督も「手紙」という事を例えて相手を思うコミュニケーションが大事とも語っていたのを思い出した。興味があれば一読してみては?
「デスストランディング」はそのような思考の持ち主から生まれたゲームかつ内容も面白いので是非!

◆現代の簡単なコミュニケーションが出来るが故に罵詈雑言が飛び交う時代


現代社会では簡単なコミュニケーションが出来、簡単かつ端的な言葉が四方八方に飛び交い、発言をするコストが軽すぎる。その為かコミュニケーションの速度が速すぎるが故に相手を怒らせる発言をしたり、嫌な気持ちを伝える事になるのかなと思った。
コストが軽いからこそ感情的な罵詈雑言が飛び交っているイメージ。

無線機の様に発言する為のコストが重いと言葉も選ぶ時間があり、また相手の事を考える余地が生まれる。逆に何か悪いことを言おうとするならばこの手間な作業を脳内で処理している間に留飲が下がるという事も考えられる。

感覚的にはyoutubeのコメントと低評価が近いかも。
動画で嫌だと思ったり、悪意があればまずコストの軽い低評価を押すだろう。それ以上の気持ちがあればわざわざ文字を打ち込むコストが高いコメントになるだろう。もしこれが、葉書きで悪評を届けるのであれば余程、相手の事を恨んでなければ大抵な人はしないだろう。
現代の発言コストの軽さ故に相手を攻撃する事が出来るのが悲しい現実だと思った。

この前、初めてnoteにコメントを貰った時に返答しようとしたらポップアップが出て来て「悪意のあるコメントをしていませんか?一度自分の書いた文章を読んで見ましょう」のような画面が出てきた。
このシステムは本当に大事だなって思いました。

◆無意識化で自分の考える力が失っていく時代

このコストが軽い意思表示が情報化社会で縦横無尽に駆け巡り、大量生産される。そしてこのコストの軽いコミュニケーションで繋がり易い環境に続くと「より端的に相手とコミュニケーション」する事が日常となり、文章は端的に、かつ共感を得られるような単語を使う事に繋がっているんだろう。
「エモい」「辛い」「笑う」「ウザい」だけのコミュニケーション。
このコミュニケーションはコストが軽すぎ共感を得れるが故に単語という曖昧な括りで相手に伝えるのは怖いと思う。
「これエモい」と書かれたイラストが合って「わかる~」となっても本当に同じ感覚なのか分からない。「ここのコレがこう」と伝えれば相手との誤差が分かり「私はココが好き」になれる。
もし言葉を多く使い、言語化が出来れば細かい内容や好きな事へ適確に伝えるコミュニケーションが図れる。

ただ、発言コストが簡単かつ大勢の情報がありふれてたTwitterでは「言語化の上手い人が真を突いた言葉」が拡散され、それをみて「ほんとこれ」と一言添えてRTして終わるのも良く見る。
自分の考えている事、思っている事を細かく代弁してくれていて、それに共感してくれている。なので「ほんとこれ」を多用していると自分の考えを代弁してくれて自分の気持ちも伝えられるが、この手法を日常にしていると、物事を言語化する事が出来なくなっていくと思う。
言語化の力が無くなると余計、共感や感情を得れる一言で終えるコミュニケーションだけになり、より自分の考えを言語化出来ずに解像度の低く荒い世界や感情で生きていく事になりそうな感じがする。
凄く怖いと思う。
自分が悩んだり、考えたりするときに言語化が出来るか出来ないかで大分違うと思う。出来なければ他人の力やアドバイスでカバーできるがそうなれば「他人の言葉の共感」のみで生きていくので自分の芯が失われる感覚が出てきそうだ。
これが進んでいくと有名な方の意見を引っ張りだして「この人はこう言ってた!!!だから違う」という代弁者だらけになってしまい、変な価値観が生まれてしまいそうだ。
少し考えすぎな感じはするかもしれないけど、この先、時代の便利さ故に自分が分からなくなる人が増えそうな気がして将来の進化が怖くなりました。

◆情報化社会の加速化による情報の簡略化が望まれる時代

そんな多くの人間が簡単に発信できるが故に今では「情報を纏めた情報」や「ポイントだけを抑えた端的なコメント」がフューチャーされる事になっている。(youtubeの切り抜き動画とかがそれに近い感じ。)
当たり前だよね。有象無象に蔓延る情報から何かを救い出すのは面倒だから纏めてある情報で把握したり、ポイントを抑えようとするのはとても分かる。
だが、これは「情報元を加工した情報」なので注意が必要だとも思う。
ちょっと前まではネットで「テレビは編集者が好き勝手して本質は違うのに怒りを覚える」みたいなコメントを見る時があった。その時代はテレビという媒体で情報を伝えるコストが高く、一般人目線だと敵が分かり易かった。ただ、今の時代は誰でも発言でき、簡単に編集も出来るので、「素の情報に手を加えて発信する」事が出来る。これはもう「発言者の考えに編集者の意思が混ざった情報」になっている。編集者に悪意があればその情報は悪意に満ちた情報になってしまう。
自分の感覚だと「ゲームの炎上やダメな部分だけを切り纏めて発信する」動画を見ていると内容は面白いのだが、普通に「このゲームって駄目なんだな」って意識になってる。もしかするとゲーム自体は面白いかもしれない。
別に動画の発信者をけなしているわけでもない。発言は自由なのである。
大事なのは「その情報は相手が思っている事、編集している事」を常に意識しないといけないと思った。この時も自分の意思や考えが無いとそのまま内容を受け取ってしまうので大変な世の中だね。

◆大量の情報によるキャパシティーの崩壊

常に誰かと繋がり、簡単に情報が手に入り、濃度や質の高い情報がすぐ手に入る世の中だと、頭が常にパンパンになる。
その影響からなのか「一人の時間」「キャンプがはやる」「瞑想」などの本がフューチャーされたり、「時間の節約法」「短期的に学ぶ~」といった本が作られたりしてもう加速化された世界で限られた時間に追われ、逆に落ち着く方へ意識を向けなければならなくなっている気がする。
特にヤバイと思ったのが「聴きながら学べる系のツール」。
その謳い文句として「移動中や作業中に学べる事が出来ます」と宣伝しているが、改めて考えると異常だと思う。まるで「移動中や作業中も情報を入れよう!」みたいな事を言っており、これが商品として普及している時点で皆が求めているという事にもなる。
そうなってくると余計に一人で考えたり、一人で休んだりする事が出来なくなり、気が付いたら情報に溺れていきそうだ。
良く自分もやってしまうのだが、ご飯を食べる時はyoutubeで動画を見ながらTwitterを見ながらご飯を食べている。
「ながら」による多数の情報が頭に入っており、気が付くと頭が休んでる時間が無いと思った。
便利な世の中だけど、そのまま生きていくには工夫が必要かなって思い始めました。

今はなるべくスマホでSNSを見るのをやめたり、noteで言語化の練習をしたり、ゆっくり休める時間を作ったりしてまったり生きていこうと思いました。

話は戻るけど、無線機のゲームの謎解きすっごいムズイ!!!!
一緒に遊んでる友人共に脳筋だから一生クリアできる気がしません!!!!!!!
あと、オーバーをつけて2~3時間喋ってると語尾が「オーバー」になるので注意!


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