初めて大きな存在の死ぬ瞬間を見た話
小学生から大学生までの9年間、ゴールデンレトリバーを飼っていた。
小さい頃から一緒で3人目の子供の様な存在。僕にとっては弟にあたる存在かもしれない。
無邪気で人懐っこくてめっちゃビビりでぐーたらな人間らしい犬だった。
飼って初めて「動物にも表情がある」って事をしった。
時々、相手してると「あっ、コイツ今面倒って思ったな」って事もしばしばある。
眉を顰めたり、目が細くなったり、鼻で笑ったり。
最初は数キロの子犬が最後は30kgを超える巨体に。昔と同じテンションで突っ込まれるともう受け止められなかった。
色んな思い出あるけど、印象強いのは自分と兄が床でカードゲームをしていた時、構って欲しかったのか横から割り込んできてカードを食べ始めた。
そのままカードを加えながら階段の一角を陣取り、身構えている。
少しでも手を伸ばそうとすると鼻筋に皺が寄り牙がチラリと見える。
僕はどうしてもそのカードを取り返したくて思い切って手を差し出した。
ガゥ!!!という短いうなり声と共に僕は噛まれた。
噛まれた左手からは血がだらだら流れ出し階段の1段が血に染まる程の出血。何故か分からないがあまり痛さは感じなかった。親が心配したりしていたが自分は「うぉ!めっちゃ血出てるやん!」みたいな感じ。
その時、ピアノを習っていたが「飼い犬に手を噛まれてお休みします」といった母親とそれを聞いた先生はどんな気持ちだったのか改めて考えたらコント見たいで笑う。
また、噛まれた箇所も面白い。
噛まれたのは生命線上。
うっすら繋がってはいるのでこの時期は一度死にかける運命だと思う。
そんな飼い犬に運命を変更させられた思い出を左手に込めながら時は経つ。
高校辺りから体内に血が漏れて固まってしまう病気にかかり手術。
それから何度か手術を繰り返したりして日に日に弱ってきた。
そして大学1年の頃、母親からラインが届いた。
「もうダメかもしれないから早く帰ってきて」
それを聞いて講義そっちのけで家に帰るといつもぐ~すか気持ちよさそうに眠っていたお気に入りの場所に横たわり両親が二人看取っていた。
(兄はその時、海外留学でその場に居られなかった。)
その時の表情はだらんと垂れ下がった舌。
不均一な呼吸。声をかけても探すようにきょろきょろと目線が空を舞う。
もう水も飲めないから手に水をつけて口周りを濡らす事しか出来なかった。
その濡らした手を嫌がっているのか顔を左右に振っている。
あんなにも豊かな表情が何も読み取れなかった。
何をして欲しいのか。苦しそうなのは分かるけど、何をすれば良いか何も分からなかった。
そして不定期にくる「ドクンッ!」と体全体が脈打つ動き。
それが次第に感覚が早くなってくる。
「ドクンッ!」…「ドクンッ!」…「ドクンッ!」。
3回。
その3回目の動きを最後にもう動かなくなった。
はっきりと分かった。
死んだ。
語り掛けても何をしてももう動かなかった。
そしてさっきまで温かく柔らかかった体が嘘のように固くなっていく。
さっきまで懸命に動いていた目は花が枯れる様にしぼんでいた。
僕は悲しい気持ちとこれが死なんだって感じ取ってどうしていいか分からなかった。
よく死んだ人の目を手の平で優しく閉じるってシーンを思い出し、それをやってあげたが、死後硬直で眼の周囲が固まって出来なかった。
そこからは流れ作業の様に動物用のお葬式を開いた。
棺桶に遺体を置き、花束を置き、好きだったものを詰め込み、焼却場で焼く。
焼いている時間は家族で元気だった頃の動画を見ながら思い出に浸っていた。
焼き終わると鉄の扉から骨が出てきた。
この時、母親がウワッっと泣き出したのを覚えている。
それは本当に亡くなったと実感できる瞬間だったからだろう。
遺体であれ、形が生前のままであればまるで寝ているかの様にも見える。
でもその姿はもうなくなり、生き物としての形だけが残った姿だけ出てきた。
かなり惨い瞬間だと思う。現実を突きつけられるような。
思い出して今でも涙ぐむときがある。町中で歩いていると、別のゴールデンレトリバーを見かける度に重ねてしまう。
何時も元気な姿も何時かはあの様な死を迎えると考える時がある。
怖いとかの感情は無い。良く分からない。
でも一番身近でありふれているのにこうも目の辺りにする事が無い現象は自分の価値観の中で大事な事だと思っている。
正直、今、何を書いて何を残したいのかも分かってない。
ただ、死を見たお話を記憶ではなく記録として残したいと思い今書いてます。
たぶん、人懐っこいので死後の方々達には可愛がってもらえるでしょう。
死後の世界でも楽しく駆け回っていることを祈っています。