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「2人目は?」モンスターとの対峙|澱まずにいることの大切さを実感した話

よくSNSを見ていると、「こんな人本当にいるの?」と思うような人のエピソードを目にすることがありませんか?

例えば、少し前に話題になったポテサラおじさんとか。
可哀想おばさんとかはちょっとマイナーでしょうか‥?
(ポテサラおじさん、可哀想おばさんについてはここでは割愛します。)

今回は、私がそんなSNSの中でしか見聞きしたことがなかったモンスター(失礼w)に実際に対峙してしまった話と、そこから感じたことについて綴ります。
最初に言っておくと、記事の中でめちゃくちゃ怒ってます(笑)
ご興味ある方、どうぞお付き合いください。

※ 愚痴な上に私の口の悪さが露呈しております!苦手な方は回れ右!

孫自慢&2人目モンスター

先にお話ししてしまうと、私が出会ったのは上の見出しにある通り「孫自慢&2人目モンスター」です。

ある日、4歳の息子と近所を散歩していた時、後ろから70〜80代くらいのおばあちゃんが歩いてくるのが見えました。
子持ちの方はなんとなくわかるのでは、と思うのですが、子どもと一緒にいると「なんか話しかけられそうだな」という雰囲気ありませんか‥?

今回もそんな感じがして、ロックオンされているのを感じました。

もちろん話しかけてもらうのは全然良いんですよ。
「かわいいね」とか「頑張ってるね!」とか、ほっこりする言葉をかけてくださる方もたくさんいて、本当にありがたい‥。
しかし、今回はちょっと嫌な予感がした上に、その予感は当たってしまうのです。


案の定「何歳?」と話しかけられました。
サラッと終わらせたかったのですがピッタリ横について歩かれ逃げられず‥。
まぁ話すくらいなら良いかと思って会話をしていました。

👵「私は子どもが3人、孫が8人いるのよ〜」
👩‍🦰「えー、8人!すごいですね」
👵「1人は東大大学院で医学部でね、もう1人は慶應で‥」
👩‍🦰「すごいですねー(聞いてないんだが‥)」
👵「ところでお子さんはまだお一人なの?」
👩‍🦰「(いや「まだ」て‥)そうです〜」
👵👩‍🦰(別の会話)
👵「そう言えばお子さんはお一人って言ったっけ?」
👩‍🦰「(しつこ〜‥だったら何や)そうです〜」
👵「どう?2人目は?!
👩‍🦰「(あーハイハイハイ出た出た出た←)‥ハハハ‥どうですかねぇ。わからないですけど」
👵「そう?まぁ、きょうだいはいた方が良いと思うけど」

もう、ここから完全に頭に来て、壁を作りました。
何か言ってやりたかったけど、あまりに予想外の展開で呆気にとられていた上に、私は知らんばぁさんと道端で喧嘩して消耗するほど愚かではない←

私の作った壁に気づいたのか、そのおばあちゃんはスタコラ去って行きました。


はちゃめちゃに腹が立ってしょうがない感情とともに、「こういう人本当にいるんだ!」という感動にも似た感情が渦巻いていました。

たまにSNSとかで
⚪︎人目はまだなの?」
「一人っ子は可哀想」
「次は女の子(男の子)ね」

とか好き勝手言う人たちが存在しているらしいことは見聞きしていました。
でも幸い私の周りはそんなこと言う人いなくて、「作り話なんじゃ?」と思ってたくらいだったんです。

でも、今回のことで本当にいるんだな〜しかも近所に。と思い知りました。

そもそも、子持ちの女性だからってまるで幅寄せするかのようにピッタリくっついて歩いて長話されるって、かなり迷惑じゃない‥?
人見知り息子は急に緊張してガチガチになっちゃうし。
(多分一緒にいたのが旦那だったらここまで絡まれてない)

さらに超センシティブな赤ちゃんの話‥
なぜ見ず知らずのあなたに話さないといけない‥?
知ってどうする?しか出てこない。

最初は小さい子どもに絡みたかっただけかもしれないけど、孫自慢できる良い感じの対象を見つけて気持ちよくなって、
ついでに「子ども3人、孫8人もいる私がきょうだいを作ってあげることの素晴らしさを教えてあげましょう。」とでも思ったんじゃないかな。

欲しいのに授かれない人かもしれないと思わないのかな。
流産や死産を経験してる人かもしれないと思わないのかな。
今のこの状況は家庭環境や経済状況など、当人たちが一生懸命考えて、働いて、やり抜いた結果だ。
それを何も知らない他人が自分の価値観を押し付けて、承認欲求と野次馬根性丸出しで踏み荒らすもんじゃない。

自己の澱みは誰かを傷つける

というわけでしばらく怒り狂っていた私ですが、なぜ世の中にああいう人が一定数いるのか考えてみました。

なんとなくですが、こういう話題にのぼる人って年配の人が多い印象。
現に私が出会ったモンスターも年配でした。
もちろん年配の方でも配慮ができる人はいるし、若い方でも配慮ができない人もいるでしょう。

その違いを考えた時に、自分の中の情報や価値観、人間関係などの環境が凝り固まって澱んできてしまうと、いろんな立場から物事を考えられなくなっていってしまうのではないかと思い至ったのです。

どういうことかというと、今回のようなおばあちゃんの場合、おそらく仕事はしておらず、70〜80代ともなると人間関係はほぼ固定化されていると思われます(夫、子ども家族、友人)。
情報源はテレビや新聞が主流で、SNSなどはあまりやらないのでは。

そうすると何が起きるでしょうか。
人間は環境の生き物なので、日頃会う人や見るものに考え方が影響されていきます。
価値観や考え方がガチガチに凝り固まっていくのです。

私はいろんな人と交流を持ったり、企業が関わっていないようなSNSでリアルな情報と触れることで、特定の物事に「こう思う人もいるから言い方には気をつけないといけないな」など、今まで考えてもいなかったことに気づけたことが多くありました。

でも、それをしていない人はしている人に比べて、人を思いやるために必要な知識(多様な価値観)まで得る機会を失っているのではないかと思ったのです。

価値観が変わらないのは悪いこととか
嫌われないためにとか
同じ人とばかり付き合うなということが言いたいのではなくて、
幾つになっても知識や価値観のアップデートをしていかないと、無意識に誰かを傷つけてしまう危険性があるなと学んだのでした。

今回のことは私の中ではとても腹立たしく悲しい出来事だったのですが、それだけで終わりたくなかったので記録してみました。

そして私もいつまでも澱まずにいられるように自戒の念も込めて。

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