ニワカ女のJリーグ第2節
私の愛する藤枝MYFCはどうも好調とは言い難い。
しかし私は強く勝ち続ける藤枝MYFCを愛しているわけではないので平気だ。そりゃもちろん勝ってほしいし強くあってほしいし優勝してほしいが、そうでなければ愛せないわけではない。
なんせ去年2部にあがったばかりのチーム。3部にいるときも試合を見たが、正直これはダメだなと思った。私が見たその何回かの試合は、強さもなければ面白みもない、期待のできない試合だった。しかしそこから5年も経たずに素晴らしいチームに急成長したのだ。そのギャップに、エネルギーに私は惚れている。うまくいかないことなんてこの世には多々ある。どちらかが勝てばどちらかが負ける。確実に勝つ方法なんてないのだ。だってあっちも本気なんだから。その本気を目の前に見せつけられて私は藤枝MYFCのファンになったので、本気が消えない限り私も愛を叫び続けるだろう。
にわか女から見て、サポーターというのは不思議な存在だ。サポーターになるのに資格も条件もないのだと思うが、なんとなく私はまだ藤枝サポを名乗れない気がする。
清水の昇格プレーオフを見に行き悲しみからビールを飲みすぎて酔い、帰りの車でさらに酔い、涙を流す代わりに嘔吐したという知人はまぎれもなく清水サポなのだと思うが、サポーターとファンとその他を分ける協会は非常に曖昧だ。
ジャイアントキリングという漫画を読んだことがある日とは少なくないのではないかと思う。この漫画はサポーターにかなりの焦点をあてて描かれている。私の疑問が解かれることはなかったが、非常に興味深く読んだ。後シンプルにとてつもなく面白いのでお勧めできる漫画である。
ファンとサポーターの違いとして私が感じるのは、サポーターは怒るということだ。
サポーターはチームの一進一退に我が事のように怒りを表す。いやそりゃ我が事だろうけれども、何もそこまで、というくらい怒るのである。極端に言うとバスを囲んだり爆竹を投げたり銃で撃ったりする。不思議だった。
サポーターという言葉のイメージはサポート、支え、献身。つまりサポーターは献身的にチームを支える人だと思う。彼らは確かに献身的に支えている。遠方へも駆けつけて大声で選手を励まし続ける。それは強烈な愛だ。
そして怒る。試合中の選手にヤジを飛ばす。バスを囲む。なぜだ。
愛ゆえに怒るのもわかるが、愛ゆえに見逃せないのがわからない。だって怒ったところで選手やチームにマイナスはあっても、とりたててメリットはないのではと思うからだ。
怒るのは感情である。裏切られたと感じたときに怒る。応援する気持ちを裏切られたと感じるから怒るのだ。それはわかる。
怒ったサポーターはチームをぼろくそにいう。やめちまえとか言う。なぜだ。愛しているんじゃないのか。
そのサポーターの怒りやヤジを目の当たりにして、スタジアムに行かなくなったという声はけして少なくない。私も長らくサッカーから離れていたのは、何よりそれを聞くのが嫌だったからだ。
繰り返すが怒るサポーターの気持ちは痛いほどわかる。しかし私は今藤枝MYFCに怒りを覚えてはいない。これから大敗して連敗してを繰り返せば、私は怒りながら応援を続けるのだろうか。それとも離れるのだろうか。
先のことはわからない。人の気持ちはわからない。
ただ、Jリーグは今もまだ面白い。
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