初めてのバイト先にいた初めてのクソ上司
私の初めてのアルバイトは、レンタルビデオ店であった。
初めてのアルバイト探しの条件は、家から自転車で通える範囲であること。一人暮らしの学生だったため、シフトを考慮してもらえること。飲食店ではないこと。肉体労働ではないこと。細やかな作業がないこと。
初めてのアルバイトだからか、初めてのアルバイトのくせに随分条件をつけて探したものである。
自分が怠け者であることは自分が一番よくわかっているので、しっかりと長く働くために職探しの条件は厳しく見ている。だからこれは今思うと大正解の判断だった。今まで条件を妥協して始め仕事は、ものの見事に短期間で辞めることになっているのだ。
もう細かい期間は覚えていないが、このレンタルビデオ店も条件で選んだわりとすぐにやめた。一年保っていない。理由は簡単で、タイトルにあるクソ上司である。
仕事をやめる理由は大抵条件が合わないか、環境が合わないかのどちらかだ。私は後者であることが圧倒的に多い。私にももちろん問題はあるのだが、問題のある私が不通に生活しているように、社会には問題のある奴がごまんと転がっている。問題のない者同士でも相性が悪ければうまくいかないのだから、問題のある人がいればそこにトラブルが発生するのはさもありなんだ。
このレンタルビデオ店は、平日昼はパートの奥様たち、夜と休日は大学生バイトでまわっていた。社員は二人。店長と、もう一人。このもう一人がクソ上司である。名前は憶えていないが顔は覚えている。ハンターハンターのボマーにちょっと似ていた。今でも見つけたら爆破してやりたいくらい嫌いな存在だ。
このクソ上司はシンプルに嫌な奴であった。便宜上ボマーと呼ぶ。
ボマーは人を見下していた。店長がとても人が良く腰が低い、はっきり言って気の弱いおじさまであったためか、このボマーは店でイキり散らかしていた。パートの奥様方をおばちゃんと呼んで偉そうに指示し、バイトの学生には二言目には「まだ若いからわかんないかw」と言っていたので、広く満遍なく的確に嫌われていた。学生バイトはみんな男性で、私だけが違った。新入りの、初バイトの、この春からの新女学生。私はボマーの最高のターゲットとなった。
仕事を教えてくれる人、優しくしてくれる人、庇ってくれる人はいたが、守ってくれる人はいなかった。そのくらいボマーはイキりちらかしていた。今なら100%SNSに挙げられて炎上するほどイキっていた。お客さんも引くほどイキっていて、何件の苦情が店に入ったかわからない。それでもその苦情をまとめるのがボマーなのだから、ボマーより上にその苦情が届くことはなく、奴はますますイキりちらかしていた。
店長が病に倒れ、店が店長不在の状態で継続することになった。なぜボマーが店長に就任しなかったのかは不明である。いや感情的にはこれ以上ない程充分すぎるほど理解できるが、理屈としては謎だ。ボマーが不適格ならば(ならばでもなんでもなくまぎれもなくそうではあるが)別の店長を送ってくるべきだと思うが、なぜか店長不在社員一人の店となった。目の上のたんこぶが取れたボマーは、人はここまで調子に乗れるのかと度肝を抜かれるほどイキりちらかした。素材として良い仕事するだろうな、という表情を見せ続けた。
ある土曜日の朝、出勤するとカギが開いてなかった。職員通用口から入り、掃除をし、開店準備をするはずなのだが、全く人の気配もない。ただでさえ古い店舗はさらにじめっと暗く見える。カギを開けるのは社員の仕事。つまりあいつの仕事だ。
寝坊かクソ野郎、と思った。しかし奴の性格上嫌がらせの可能性もある。もしくはある日突然無断退職かもしれない。奴ならあり得る。私のボマーへの信頼度は0であった。0はなかなか珍しい。しかし人間として死ぬほど嫌いでも、一人の新人バイト19歳としては、社会人正社員であるボマーが会社やお客様に迷惑がかかることを選択するとは考えづらい。今ならばそんな社会人もいることは知っているが、当時の私は万人に最低限の責任感が備わっていると信じていた。バイトである私でさえ店やお客様に迷惑をかけてはいけないと思っているのだから、会社に直接雇用されている正社員が無責任なことをするはずがない。奴の心根は地獄の様に腐っているけれども、それでも大人なのだからと。
茫然と立ち尽くしたまま、なんと開店時間が来てしまった。お客様が次々と現れた。幸い私にきつい言葉をかけるようなお客様は一人もなく、ただただわけもわからず頭を下げ続ける私に世界は優しかった。当時はスマホもなく、私は携帯を家に置いてきていた。持っていたところで誰にどこに連絡したらいいのかもわからない。
どれほどの時間が経っただろうか。奴は現れた。
それでも大慌てでやってきたのであろうボマーは寝坊丸出しの姿で、やべーやべーと言いながらドアを開けて店に入っていった。
「おい!待てよ!!」
常連のお客様が声を上げた。
「なんかねえのか!」
「はあ、すんませんね」
姿さえ見せず声だけで答えるボマーの声を聞きながら、辞めようと思った。
もうだめだ。こんなところにはいられない。
シフトを完遂するため店に入ると、ボマーはニヤニヤと言った。
「あのさあ、掃除したの?開店準備は?まだ着替えてもいないじゃん?やる気あるの?」
一部始終を本社へと報告し、私は退職した。初めてのアルバイトはこうして幕を閉じた。
執念深い私は今でも、ボマーを許していない。
後日店に行くと、いつもさりげなく私の代わりにAV返却を担当してくれていた近所の理数系大学生の先輩が、来店スタンプを一つ多く押してくれながら言った。
「俺も来月でやめる」
「それがいいですよ」
それきりもう、店には近づかなかった。ビデオはTSUTAYAで借りた。
言うまでもないことだとは思うが、店は数年後にはもう跡形もなくなっていた。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?