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ロビンソンとマサムネさんと私
スピッツを聴いて大人になった世代である。
スピッツが好きだ。中学生の頃一緒に行く予定の友達が都合が悪くなったので、仕方なく一人でライブに突入した程好きだ。
「空も飛べるはず」は合唱曲になったほどの名曲だし、「チェリー」なんかもう猫も杓子も歌っているし、「運命の人」に至ってはバスに乗るたびに心をときめかせてくるではないか。
名曲の宝庫であるスピッツだが、ニワカと叩かれようとも私は声高にこれを主張する。
スピッツ最高の名曲は「ロビンソン」であると。
「楓」のサビのさよならはいつまでも耳に残るし、「優しいあの子」はその実力が令和にも通用することを見せつけたし、「青い車」の考察は今も人々を騒がせて止まない。
が、しかし。なんだかんだで結局のところ「ロビンソン」なのである。
まず最初のイントロ。なんだあれは。あれにもうどうしようもなく引き込まれる。あそこまで耳に残るメロディはなかなか生まれるものではない。
スピッツは紛れもない天才なのだ。
そしてあの唯一無二のメロディに、草野マサムネ様の神の声が乗る。
「新しい季節は なぜかせつない日々で」
このワンフレーズであっという間にロビンソンの虜だ。
なぜかせつない、という感情は人々を悩ませてきたことだろう。
そう、私もまた「なぜかせつない日々」を過ごしてきたのだ。
今日はこの名曲への愛と共に、私にとってこの曲が「なぜかせつない」曲となってしまったエピソードを添えようと思う。
第一にまず、草野マサムネ氏。彼ははっきり言って私の好みど真ん中どストレートである。
あの儚げな見た目、優しい声、風が吹いたら飛びそうな体型。
そしてあの困ったような笑顔と、あまり目を合わせてくてないコミュニケーション。
最高の男だ。できることなら結婚したい。
しかし浮いた話も一つもないところが草野マサムネ氏。
好きだ。
だがあまり黄色い声を上げる気にならないのは、おそらく尊敬が上回っているのである。
彼はその見た目より男としてより、アーティストとして私に喜びを与えてくれる。
ロビンソンの真髄はサビにある。
いや大抵の曲はサビにあるだろうが、ロビンソンのサビは格別である。
「誰も触われない 二人だけの国 君の手を離さぬように」
これである。
誰も触われない二人だけの国。
これがどうしようもなく、とんでもなく刺さったのだ。
私は非常に独善的で暴力的な愛し方をする女なので、つまり突き詰めるとあなたと私以外はこの世に要らないと思っている。
誰も触われない。誰も入れないではない、触われないなのだ。
こんなにも美しい世界があるだろうか。
世界でたった二人きりになれば、誰も邪魔できない。お互いにお互いだけを見て終わる。
これこそが私の目指す愛の終着点なのである。
そして「誰も触われない二人だけの国」において、「君の手を離さぬように」だ。
誰もいないのに、見失うことなどないのに手を離さない。
手を離さずにいるそこが、二人だけの国なのである。
さて、この稀代の名曲が聴けない曲となってしまった話をしよう。
なんのことはない、知人がサプライズプロポーズに使ったのである。
本人の希望で流れてきた動画を拝見した私は、申し訳ないが痛々しくて見ていられなかった。
それ以来このイントロを聴くと、盛大に滑った彼のプロポーズが脳裏に浮かぶ。
彼の歌声が流れてくる。まったく望んでいないのに頭から離れない。笑ってしまう。どうしても笑ってしまう。
知人は、プロポーズに失敗した。
一夜にしてコメディソングに成り下がってしまったロビンソンを、それでも私は諦めきれない。
そこで一発逆転を狙った私は、絶賛片思い中の相手に賭けた。
「これこれこういうわけなんで、ロビンソン歌ってもらえませんか?」
「どういうわけか知らんけどまあいいですけど」
愛しの彼が私の頼みを聴いて歌うロビンソンは、滑りプロポーズの何億倍の存在感があった。
ああ、ここが誰も触われない二人だけの国か。
終わらない歌をばらまいてほしい。宇宙の風に乗せてほしい。
私はうっとりと聞き惚れていた。もはや溶けていた気さえする。
私の中のロビンソンは再び頂点に鎮座ましました。
この後、私は盛大にフラれた。
なんということだろう。一発逆転を狙って打った手が裏目に出てしまった。
ロビンソンを聴くと彼の顔が浮かぶ。彼の声が浮かぶ。
私は君の手を離してしまった。いや未だかつて繋いでいたことなどないわけではあるが。
ロビンソンは私にとって大失恋を象徴する歌となってしまったのである。
大好きなロビンソンを、私はこうして失った。
墓穴を掘るとはこのことである。
なので泣きたい時は思い切りロビンソンを聴くのであった。
ルララ宇宙の風に乗る、のところはもはや、私の嗚咽しか聞こえないのだが。