2022年10月のいま
2022年に入って、いろんなことがあって、振り返るには早いんだけれど、今なにか書かないとと思って書き始めてみる。
「世界5大宗教全史」という本を読んだことがある。この世界には何かしら宗教を信仰している人が多いと思うから、宗教を学ぶことで歴史とか言語とか世の中のいろんなことを理解する一助になる気がして、読み始めた。
その中でも、「仏教」はPodcastの「行け!世界遺産と雑学の旅★( #セカザツ)」を聞くようになって、今まで以上に興味を持つようになった。世界遺産がメインテーマだけれど、たまにフリートークで話される仏教に関する話が興味深くて、何度も聞き返した。
一切皆苦(人生は思い通りにならない)
昨年くらいから思い通りにならないもんだなぁと、思うことが多々あった。努力が足りないと言えばそれまでのことももちろんあったけど、それだけじゃないことがあった。
特に今年は、体調の変化も多く精神的にも、肉体的にも辛い時期がたくさんあった。でも、科学が発展して、いろんな治療法や薬などが日々開発される中、それでも同じように辛い思いをしている人がたくさんいるであろうことが不思議に思えた。
そんな時、「一切皆苦」という言葉を思い出した。思い通りにしようということじたいが間違いで、思い通りにならないことばかり。この「いま」を、ありのままを受け入れたいと思うようになった。だって、どうしようもないんだもん。
シュレディンガーの猫
何か出来事が起こりそうな時、いつも悪い方を考えてしまう。Happyなことだけ考えるということがどうしてもできない。その出来事が起こる直前は、結局面倒くさくなって「えぇい!もういいや!」と成り行きを受け入れるのだけれど、それまでは自分で不安を煽ってしまう。
「考えたって仕方ないじゃん」と、よく言われる。自分でもそう思う。でも、考えちゃうんだよね。と、堂々巡り。暇なのが悪いんだと思い、悩んだ時は何かに没頭するようにしている。難しいけど、物理的に何かするようにしていると、少しだけ考える時間が減って、不安が少なくなる気がする。
今も、どうなるんだろうと思うことがある。Happyなことがたくさんあるはずなのに、どうしても不安になる。そんな時、Podcast「墓場のラジオ-Forest Stories-」の第61夜「マクドゥーガルは量子猫の夢を見るか?談義」を思い出した。そこで、「シュレディンガーの猫」の話を初めて聞いた。
ざーっくり言うと、「見るまで答えはわからない」ということなのかなと理解した。たぶん、物事の答えが「大丈夫99 対 心配1」の比率だったとしても2択である限り、心配が大きく見えてしまう私だけれど、なんとなくこの話を思い出して、不安は変わらない。でも見るまでわからないもんな。って少し思えるようになって、ちょっとだけ心が軽くなった。
手紙
いま、手紙を書きたい相手がいる。書きたい気持ちはずっとあるけれど、筆が進まない。
いま、嬉しいことも、悲しいことも、辛いことも、楽しみにしていることも、全部ありのまま書けばいいんだけれど、なんだか難しいよね。
結婚披露宴などで「席札メッセージカード」がありますよね。あれも、伝えたい感謝が多すぎて、とてもじゃないけど書けなくて、私たちはボイスメッセージにした。席札メッセージの裏の白いところにQRコードを貼って、アクセスするとその方へのメッセージが流れるように。
私たち夫婦は、Podcastが縁で知り合い、遠距離だったこともあり、音声でのやりとりはとても自然な事だった。私が提案はしたものの、中々実装までは大変だったけど(笑)
手紙として仰々しく書くのは難しいけど、ちょっとしたボイスメッセージにするのも始めやすいかななんて、いまこうして書いているうちに思い始めてきたな。
不安いっぱいだけど…
暇している分、不安は大きいけれど、今年は支えてくれる人のあたたかさが一段と身に沁みることも多い。コロナがまだ流行っているから、外に出かける機会や人に会う機会は少ないけれど、近くで支えてくれる家族、離れていても心配して声をかけてくれる人がたくさんいて、良かったと日々思う。
あと少しでゴールという名の始まり。
大好きな「水曜どうでしょう」のテーマ曲ではないけれど、
だなぁって思う。とりあえず目に見えるところまで、頑張ってみます。