こころの棚卸し
3月に入った。最近主人に協力してもらって1人で過ごす時間を作るようにしていて、その時にゆっくり自分と対話するようにしている。とか言いながら、単純に手帳を書いているだけなんだけど。家でもできることだけど、どうにも自分に甘いから外の方がやる気がおきる。
この前聴いているPodcastのパーソナリティさんも言っていたけど、日記ってすごく大事だと思う。3年日記は買ったけど最初だけで私には続かなかった。理由は書きづらいから。本のように分厚くてしっかりしている分、開きにくくて書きづらい。3行くらいしか書くスペースがないのも私には困る。
結局落ち着いたのは手帳に書くこと。以前は予定も日記も全部手帳に書いていたけど、ゴチャゴチャでわかりにくくなってしまったので起こった事だけ後から書いている。
手帳はCittaを使っている。
ここにあるようにキラキラした感じでは全く使っていないけど、デルフォニクス•ほぼ日•マンスリーだけとか、色々使ってきたけど一番使いやすくて、今年で4年目になる。
バーティカルのところにその日あったことをざっくり記録する。同じような毎日が多くて何となく今日が終わったと思った日も、これだけ色々やったのかとか嬉しくなる。育児の事はお出かけと授乳タイミングに留めているけど、日によって飲む時間が違うし、成長して授乳間隔が長くなったなと分かってくる。
手帳には出来事、3行日記、ハビットトラッカー、wishリストを書いている。もちろんキレイなんて書けないし、空欄の日もよくある。それでも書ける時に書く事で余裕があった日なかった日、書きたくなかった時もわかる。
それ以外の所感はマス目のついた薄いノートに書いている。なんでも帳なのだがすぐに書けない事が多いので、メモはスマホに一旦書いて、それを元になんでも帳に書き写している。アナログだけど書き方にその時の様子が表れてくる。そうするとその頃はこんな事思っていたとか、あれが欲しかったなとか振り返れて楽しい。
こんな事をするのは記録好きだからというのはあるけれど、本当は不安になる事が多くて、なんで不安になるか知りたくて書いている。楽しい事がないわけではないけど、時間ができるとボーッとするより心配事をあれこれ頭に並べてしまう私は、不安と共に生きる方法を模索している。
不安になった事を記録するのは怖い。書くのがいいとは言われているけど、なんとなく浮かんでもくもく広がっていく不安にスタンプを押してしっかり刻む気分。でも、そのなんとなくも雲をかき分けてみたら実は何にもない事がある。不安になるのは防衛本能なんだと思う。でも、その不安に負けているのは嫌だ。仲良く付き合っていきたい。
なんか手帳のこと前にも書いたよなって思ってたら、なんだ1年前におんなじような事書いてるじゃないか。ちょうど手帳の切り替えタイミングだからか。来年も書くんだろうな。