回らない寿司
回転寿司ではない寿司屋のことを指す言葉。
「回らない寿司」
や、昭和や平成時代は回らない寿司の方が
市民権を得ていた気がする。
わたしが風邪をひくと、父親がたいてい
小僧寿司に行き、寿司を買ってきてくれた。
病んだ体には酢飯が美味しく感じ、ちょこっと冷えた海鮮ネタが嬉しかった。
これもいわゆる「回らない寿司」だ。
令和に入り、YouTubeとの相性も良いのか
回転寿司を熱望する子供が増えたと聞く。
わたしのイメージは、ちょっと乾燥しかけたネタがカタカタとベルトコンベアーを回りに回るのが回転寿司だと思っていた。
しかし、実際に店に行ってみると、まあ回転しているものもあるが
ほとんどは、注文後にシャーっと客の前までにやってくるのが今時らしい。
(その前は、目の前の板前さんに自分の好みを伝えるシステムもあったが、これが結構タイミングや声の音量などでちょっとしたスキルを要した記憶がある)
上述の子ども時分の記憶もあり
寿司を食べるときは、元気が欲しい時になった。
(あとは、槇村さとるの作品によく出てくる、「元気がないときは寿司」にも感化されているw)
10年ほど前は、近所にふらっといける
「回らない寿司屋」がいくつかあった。
本当に元気がない時に、寿司屋ほど有難いものはない。
「おまかせで」
と言うだけで、板前さんが自分に合わせたつまみからお酒、そして寿司まで流れるように出してくれる。
わたしは、無心に口にそれらを運べばいい。
しかも美味、元気をもらえる。
なんなら、いいタイミングでたわいもない話を楽しめる。
そんな素晴らしい「回らない寿司屋」の恩恵を受けてきた。
が、ここ近年でそれらが消滅した。
店主の高齢化、地価高騰、別の場所へのチャレンジ等など
めっきりモッきりわたしが心地よいと感じる店がなくなったのだ。
これは痛い。
美容院探しと同じで、自分に合う寿司屋を見つけるのは至難の業だ。
自分が見つけようとして見つかるものではない。
先日、通っていたお店の板前さんが独立した寿司屋に久しぶりに行った。
カウンターのみの少人数制の店で、こちらの様子を見ながら料理を出してくれる。
良い。
しかし・・・カウンターのみなので、基本独りで行くわたしには
その他の客層によって居心地の良さが左右されてしまう。
バラバラの客に当たることはまずなく、大体オミック、それ以外の団体になる。
これが気まずい、というか、ゆっくりできない。
別に他の客が嫌だとかではない、が、学生食堂とかで10人テーブルで先に独り食べていた時に、その後から仲良しグループが9人きちゃった・・・
みたいなシチュエーションになるわけだ、これは気まずい。
なので、美味しいし、いい雰囲気だし、いいお店なのだけど・・・
という贅沢な悩みを抱えてしまった。
回らない寿司を求める旅は続く。