4月26日 あなたがあきらめなければ、世界は美しい
清澄白河まで行くのにバスを利用したのは初めてだった。月島や門前仲町を経由するルートだ。
普段は東京駅へ行く際によくバスを利用するが、その車内でシニア層が多いと感じたことはない。もちろん公共の乗り物なので老若男女いるわけだけれど、やはり行先が東京駅ということもあってなのか、働き盛りのビジネスマンや若年者、中年層が多い。
それがこのバスでは車内の8割、いや9割近くがシニアの乗客だった。しかも下町を進むに連れてその人数も増えていく。平日の午後という時間帯もひょっとすると影響していたのかもしれないが、それにしても路線が変わるとこうも年齢層が変わるのかと驚いた。
不思議なことに、清澄白河へはこれまで何度も電車で行ったことがあるのに、電車ではそういったことを感じたことはない。
おそらくだが、シニアの人たちにとってはバスの方が利用しやすいのだろう。わざわざ地下へ降りてホームまでの長い距離を歩く必要もないし、行先が分からなければ乗車時に運転手さんに聞ける。それにバスによっては病院の前まで行ってくれる路線だってあるし、きっと電車よりツボを押さえているのだろう。
そう考えると、この国の高齢化の実態は電車に乗っているだけでは見えづらい。
車窓から見える下町の景色を興味深々で眺める。
大通りなのでチェーン店も多いが、そこここで古い商店や家屋と混じり合い、独特の味わい深い街並みを形成している。個人経営の飲食店も多くて、一見すると活気のある街に感じる。
それゆえに見えづらいけれど、(観光客のように電車を利用し大通りを歩いているだけではなおさら)実はこの街は想像している以上に高齢化が進んでいるのだ。今立ち並んでいる飲食店はこれから20年、30年後にはどうなっているのだろう?商売するには体力が必要だ。体力勝負の外食産業はほとんど消えてなくなってしまうのではないだろうか?
そんなことをぼんやり考えながら、どんどん気持ちが暗い深海へ傾いていくのを感じる。
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「待った待った!ストーップ!ここでストーーップ!」
某番組、『ゴチになります!』のオーダーストップばりに心の中で声を張り上げ、転がり落ちていく思考に歯止めをかけた。
ここで不安な気持ちになることは容易いけれど、今のこの思考の連続が未来になっていくんだ。だからここは踏ん張ろう。この街がこれから沈んでいく様子を妄想するよりも、これからこの街が、ひいては日本が、楽しく・面白く・豊かになっていく証拠探しの方をしよう。そう決めた。
私たちは同じ世界を見ているようでいて、すぐ隣にいる親しい人とでさえ、それぞれ見ている景色は違う。それは各々が持っている思い込みの違いが関係している。
昔「人生とは証拠探しの旅」だと教えてくれた人がいたが、その通りだなと思う。思い込みを裏付ける証拠を、目の前の現実の中に探しているのだ。
例えば、「今からこの部屋の中で、できるだけ多く赤いものを探してください。タイムリミットは1分間です。では、ヨーイ!スタート!」と言われたとする。初めはそんなにあるかなぁ?と疑心暗鬼でも、いざ探してみると服や本、メイク用具にペンのインク、もし鏡があれば自分の唇や舌だって!意外と身の回りは赤いもので溢れていると気付く。
それは無意識の内に脳が指令を受け取り、赤いものを見つけてくれるからだ。赤があると思えば赤が見つかるのだ。
つまり、何をこの世界で見たいのか決めることで、世界はいかようにもオーダーメイドできる。
だったら・・・!
私の世界は豊かにしたいし、私が世界を豊かにできるはずだ。
そうして見えてきたものを、隣の人と分かち合いたい。
何も大それたことはできなくとも、「赤」に気付けたことを隣の人に伝えれば、その感性は少しだけ伝播するかもしれない。そしたら今度はその隣人がそのまた隣の人に「赤」を見つけた話をするかもしれない。それををまた・・・と繰り返していければ、豊かなものの見方が少しづつ大きく拡がっていくだろう。朱に交われば赤くなる。
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そうそう。清澄白河へはカフェへ行ったんでした。
美味しいデカフェコーヒーに自家製ケーキをいただきながら日記を書く。あぁ、至福。
テラス席では女性のグループが楽しそうにおしゃべりに興じていた。歳の頃は60代?70代?年齢不詳で皆さんとってもオシャレ。華やか。
目が覚めるような緑色のシャツにベージュの上品なパンツを合わせていたご婦人、今でも思い出せるくらい素敵なコーディネートだった。
隣の席では男性2人がそれぞれコーヒーをおかわりして何かを熱心に議論している。ベビーカーを押す若い女性が入店してきた。老若男女が集まるこのカフェは、居心地が良い。
ふと、流れていた名も知らぬ曲の歌詞が耳に留まった。
「あなたがあきらめなければ、世界は美しい」