《第三回》「どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー」
※この文章は、《Whenever Wherever Festival 2025》が開催するワークショップ『どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー』第三回目の感想です。
☆ワークショップのディレクターは、アーティストでダンサーのAokidさん
広尾という街は、大使館がやたらに多く、それに比例するように多くの外国人が住む街だ。それは公園も例外ではなく、広尾にある有栖川記念公園には外国の子供たちの姿が目立つ。
すっかり日も暮れた薄暗い公園をたむろする子供たち。時折発せられる奇声が響く夜の公園は、ちょっとガラが悪い感じがする。
でも彼らからしたら、手を繋いで大きな木の周りをぐるぐる周る私たちの方こそ、治安を乱す怪しいオカルト集団のように見えていたかもしれない。
「このまま上を向いて周りましょう」
Aokidさんの号令で上を向くと、視界が木の枝葉でいっぱいになる。
どうしてだろう。人の姿が見えなくなるだけで、この世界には私だけしか存在していないような気になってくる。隣の人としっかり手を繋いでいるというのに。そのうち周囲の雑音も気にならなくなってきた。
ただ空の一点を見つめながら、でこぼこの地面を転ばないよう気を付けながらぐるぐる周る。
「視線を少しずらしてみて。今まで見ていない部分を見てください」
すると現れる、新たな枝葉、雲の形、夜の色。少し目線をずらしただけで世界に奥行きが生まれたみたいだ。
景色がじゃなくて、視界が美しいと感じたのは初めてだった。まるで自分の目がカメラワークをしながら映画のワンシーンを撮っているようだと思った。
ところで、木をぐるぐる周りながら一つ気付いたことがある。
それは「皆と一緒に過ごしながらも、同時に一人で在ること」の肝要さだ。
ちょっと矛盾するように聞こえるかもしれないが、手を繋ぎながら空を見上げていた時に感じたのだ。純粋に自分が見たいものに集中すると、人と一緒にいやすくなるんだなって。
それで思い出したのが、パエロ・コエーリョ著のベストセラー『アルケミスト』の中に書かれていたワンシーン。そこでは、賢者が若者に「幸福の秘密」をこんな風に伝えている。
賢者が若者に、ティー・スプーンに入った油をこぼさないように気を付けながら、美しい宮殿内をあちこち見てくるよう指示を出したのだけれど、戻ってきた若者のティー・スプーンは空になってしまっていた。その時若者に説いた言葉が、脳裏に浮かんだ。
人と一緒にいられるのは幸せなことだけれど、それはもちろん辛いことにもなりうるから。劣等感や無価値観等、見たくないものを見てしまうことがあるから。これから先、油がこぼれてしまう前に空を見上げてみようと思う。
公園に話を戻します。
結局、この日は5つ(!)もの公園を巡った。
それぞれ趣の異なる公園で、"たいそう"をしたり走ったり、遊具でめっちゃくちゃに遊んだり。
特に、2つ目に巡った公園には大きな(何人も横一列に並んで滑れるくらいの)滑り台があって、それを見つけた時の胸のトキメキは忘れられない。全員の目の奥がキランと輝いて、歓声が上がり、飛びつくように滑り始めた。
私たちは色々な滑り方を試した。一人で滑る、皆で手を繋いで滑る、逆走して滑り台を駆け上がってまた滑る、など。
そうそう、こんな風に遊具に体当たりするのが楽しかったんだよなぁ。
今回の第三回目のワークショップから初めましての方が何人かいて、実は結構緊張していたのだけれど、公園のおかげでお互いの柔らかな部分に触れ合えて、距離が近づいたように感じた。子供時代の記憶や思い出を、一緒に追体験できたというのも大きかったのかもしれない。
その後私たちは、前回前々回に引き続き、今回も最後は東京タワーに向かって歩いた。
ちょっと個人的な話をしてしまうのだけれど、その向かう途中で歩いた裏通りは、2年ほど前によく一人で歩いた道だった。狸穴公園前の、麻布十番から芝公園方面へ向かう道。
当時、海外赴任同行していたアメリカから帰国したばかりで、仮住まいをしていたアパートが麻布台にあった。日中、麻布十番のスターバックスでぽつぽつ文章のようなものを書いて、日が暮れると、何となく心細い気持ちを持て余しながら、寒さに身をすくめてアパートまで歩いた。
その道を、この日は皆で歩いた。道路の幅を取るくらいの大人数で。それが嬉しくて、嬉しくて、思わず後ろから皆が歩く姿を何枚も撮ってしまった。立ち止まって撮っているだけの時間分、皆は先に歩いて行ってしまう。早く追いつきたい。でも、まだここにいたい。そんな思いで撮った写真たちは、後で見返したらブレブレだったのだけれど。道に良い思い出が上書きされたなぁ。
東京タワーに使われている資材は、朝鮮戦争時の戦車などから出来ているのだということを、この日初めて知った。でも、ずっと東京タワーからは死の匂いを感じていたから、その話を聞いて納得した。
東京タワーは墓標みたいだ。名も無いたくさんの人々と、その人々を糧にして更新し続ける東京の、墓標。
その目の前にある公園で、東京タワーに捧げる"たいそう"を皆でして、この日の「公園クルージング」(これは他の参加者さんの言葉)は幕を閉じたのでした。
☆お知らせ☆
私の参加する、《Whenever Wherever Festival 2025》開催のワークショップ『どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー』が・・・
なんと!
2月1日(土) SHIBAURA HOUSEにて、発表会をします!!!
・港区を身体で表現するとどんな形になるのか?
・どんな発表にしていくか?
そういうことをこれから皆で形にしていくのですが、きっと楽しくてヘンテコで、でもなんだかしみじみ良い・・。そんな風に思える"たいそう"になっていく予感がします!
他にも別のワークショップ参加者の発表会があったり、ダンスイベントやトークショーがあったりと盛りだくさんなので、ぜひチェックしてみてくださいね☆
あ、ちなみに私はダンス経験が全くのゼロです。37歳の主婦です。それでもこのワークショップはとっても楽しいので、もし普段は踊らないけど、そんなにハードル高くないならちょっとくらい身体動かしてみたいな・・って方にも個人的にはおすすめです。ダンスというと敷居の高いイメージがありますが、古来から人間は皆踊ってきていますからね。これが踊りだ!と言い張れば、それがどんな形だって立派な踊りになるのではないでしょうか?
ハードルを下げて下げて下げまくって!一緒に踊りましょう!